赤光
- 作者
- 斎藤茂吉
- 成立
- 1913
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
生命の燃えるような感動をうたい、近代短歌を一変させた歌集である。
茂吉は医師でありながら、正岡子規の写生の理念を受け継ぐ歌人だった。この第一歌集『赤光』はその茂吉の名を一躍高めた。
歌集の核心をなすのが、故郷の母の死をうたった連作「死にたまふ母」である。危篤の報を受けて東京から郷里の山形へ帰り、母の死を看取って葬るまでを、五十九首の連作でうたう。
「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」。死にゆく母のかたわらで、燕が二羽、屋根の梁にとまっている。生と死が鮮烈な感覚のなかで一つに捉えられ、悲しみが灼けるような映像としてうたわれる。
茂吉の短歌の特徴は強烈な生命感覚と鋭い写生である。子規の写生を受け継ぎながら、茂吉はそこに自らの生命の燃えるような主観を注ぎ込んだ。対象を写しながら、同時に魂の叫びがそこにこもる。
題の「赤光」は仏典に由来し、赤い光の輝きを意味する。生命の燃えるような輝きへの感動がこの歌集を貫いている。
文学史における評価と影響
近代短歌の最高峰の一つとされ、斎藤茂吉の名を不動のものにした第一歌集にあたる。
茂吉は正岡子規(歌よみに与ふる書)が唱えた「写生」の理念を受け継ぐ、アララギ派の歌人だった。だが茂吉は単なる客観写生にとどまらなかった。対象を鋭く写しながら、そこに自らの燃えるような生命の主観を激しく注ぎ込んだ。「実相観入」——対象の実相に入り込んでその本質と一体になるという独自の写生論を展開した。
連作「死にたまふ母」は、日本の近代短歌における挽歌の頂点とされる。母の死という悲しみが、感傷ではなく鮮烈で具体的な感覚のイメージによってうたわれる。 燕や蛍や山の湯など、生命に満ちた自然のなかで母の死が捉えられ、生と死が一つに溶け合う。
強烈な生命感覚が茂吉短歌の魅力にあたる。茂吉の歌には生きることへの灼けつくような感動があり、その情熱が写生の技法と結びついて、近代短歌にかつてない生々しさをもたらした。
『赤光』は後の歌人たちに絶大な影響を与えた。芥川龍之介をはじめ、多くの文学者がこの歌集に衝撃を受けたことを記している。 近代短歌を代表する一冊として今も読み継がれている。
内容
歌集『赤光』は斎藤茂吉の第一歌集である。医師として働くかたわら短歌を詠み続けた茂吉が、その初期の作を集めたものにあたる。
歌集の題「赤光」は仏教の経典(阿弥陀経)に由来する言葉で、赤い光の燃えるような輝きを意味する。この題のとおり、歌集全体に生命の輝きへの灼けつくような感動が満ちている。
この歌集の中心をなすのが、連作「死にたまふ母」、五十九首である。
茂吉は東京で暮らしていたある日、故郷の山形にいる母が危篤であるとの報せを受ける。茂吉は急ぎ郷里へと帰る。そして死の床にある母を看取り、その死を悲しみ、野辺送りをするまでの心の動きを、連作の歌にうたう。
「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」。死にゆく母の枕もとで、ふと見上げると、喉の赤い燕が二羽、屋根の梁にとまっている。死の悲しみのただなかで、生き生きとした生命が鮮烈に目に飛び込んでくる。 生と死とが一つの澄んだ映像のなかに捉えられる。
「死にたまふ母」の連作では、蛍の光や山あいの温泉や故郷の自然が、母の死と重ね合わされてうたわれる。悲しみが抽象的な嘆きとしてではなく、具体的で鮮烈な感覚のイメージとして結晶している。
歌集にはこの母の挽歌のほかにも、恋の歌や故郷の歌、そして精神を病んだ人々を診る医師としての体験をうたった歌など、多彩な作品が収められている。そのいずれにも茂吉特有の燃えるような生命感覚がこもっている。
正岡子規の「写生」を受け継ぎながら、茂吉はそこに魂の激しい主観を注ぎ込んだ。対象を鋭く写しながら、同時に生きることへの灼けつくような感動がそこにこもる。
生命の輝きへの感動と、母の死への痛切な挽歌。それらを鮮烈な写生の技法でうたいあげたこの第一歌集は、近代短歌の流れを大きく変える記念碑的な達成となった。