山家集

作者
西行
成立
1180頃
日本
時代
中世

概要

武士の身分を捨てて出家し、旅に生きた歌人・西行の和歌を集めた歌集である。

西行は、もとは鳥羽院に仕える武士だった。だが二十三歳の若さで、妻子を残して出家する。その理由は今も定かでない。 以後、西行は僧として、諸国をさすらいながら、生涯にわたって和歌を詠み続けた。

この『山家集』は、西行みずからが編んだとされる私家集で、約千五百首の和歌を収めている。

西行の歌でとりわけ名高いのが、桜と月の歌である。西行は花を、なかでも桜を、この上なく愛した。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」——できることなら、満開の桜の下で、釈迦入滅の頃(陰暦二月十五日)に死にたい、という歌である。驚くべきことに、西行は実際にほぼその願いどおりの日に世を去った。

旅の歌、自然の歌、そして仏道と俗情のあいだで揺れる心の歌。出家しながらも捨てきれぬ人の情と、悟りを求める心とのあいだの揺らぎが、西行の歌の深い魅力にあたる。

文学史における評価と影響

中世を代表する歌人・西行の最も重要な歌集であり、日本の和歌史に屹立する作品にあたる。

西行の歌の特徴は、平明でありながら、深い情感をたたえている点にある。技巧を凝らすよりも、心に浮かんだ思いを、素直に、まっすぐにうたう。その飾らなさが、かえって胸を打つ。 同時代の技巧的な和歌とは異なる、独自の境地を開いた。

主題は旅と、自然と、心の揺らぎである。西行は僧でありながら、桜や月を愛し、人の情に心を動かされる。悟りを求める心と、捨てきれぬ俗情とのあいだの揺れが、隠されずにうたわれる。 その正直さが、西行の歌に、人間味あふれる深みを与えている。

後世への影響は絶大である。西行の漂泊の生涯と、その歌の境地は、多くの人々の理想となった。とりわけ松尾芭蕉は西行を深く敬愛し、その足跡を慕って旅に出た。おくのほそ道をはじめとする芭蕉の紀行は、西行への憧れに支えられている。

桜のもとで死にたいと願い、その願いをほぼ叶えた歌人。西行の生き方そのものが、後の日本人の美意識に、深く刻まれてきた。 その歌の源が、この『山家集』にある。

内容

『山家集』は西行の私家集(自分の歌を集めた歌集)である。約千五百首の和歌を、四季・恋・雑(ざつ)などに分けて収めている。

西行は、俗名を佐藤義清(のりきよ)といい、鳥羽院に仕える北面の武士だった。武芸にも歌にもすぐれた青年だったが、二十三歳のとき、突然、妻子を捨てて出家する。 その動機は、親しい者の死とも、失恋とも、無常の自覚ともいわれるが、はっきりしない。

出家後の西行は、京の東山や嵯峨、高野山、伊勢に庵を結び、また陸奥(東北)や四国へと、諸国を旅した。その漂泊の日々のなかで詠まれた歌が、この歌集を満たしている。

歌集の中心をなすのが、桜の歌である。西行は、桜をこの上なく愛した。満開の花の美しさ、散る花への惜別、花の下で過ごす喜び。「花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎(とが)にはありける」——花見の人が群がって来るのだけが、この美しい桜の罪だ、と。

そして名高いのが、自らの死を願った一首である。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」。満開の桜の下、釈迦が入滅したという陰暦二月十五日の頃に死にたい、と。西行は実際に、その願いにほぼ重なる二月十六日に世を去り、人々を驚嘆させた。

桜と並んで、月の歌も多い。旅の空に見る月、庵から眺める月に、西行は孤独と澄んだ心情を託す。

そして西行の歌の深さは、仏道と俗情のあいだの揺らぎにある。出家の身でありながら、西行は自然の美に心を奪われ、人の情に涙する。その捨てきれぬ心を、西行は隠さない。 悟りきれぬ人間の弱さと、それでも美を求めずにいられぬ心が、飾らぬ言葉でうたわれる。

武士の身分を捨て、旅に生き、桜のもとに死んだ歌人。その生涯と歌の全体が、この『山家集』に刻まれている。

作者

登場する文学史