文字禍
- 作者
- 中島敦
- 成立
- 1942
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
文字には霊が宿るのか——それを調べた老博士が、文字そのものに呑まれていく話である。短篇にあたる。
舞台は、古代アッシリアの首都ニネヴェ。王の図書館で、夜ごと、書物のあいだから怪しい声がささやくという噂が立つ。王は、老博士ナブ・アヘ・エリバに、その正体を調べるよう命じる。
老博士は、文字を研究するうちに、奇妙なことに気づく。一つの文字を、じっと見つめ続けると、それがばらばらの線の集まりにしか見えなくなる。意味が消え、ただの記号になってしまう。なぜ、この線の集まりが、音と意味を持つのか。
老博士は、確信する。文字には、霊(文字の精)が宿っている。そして、その霊は、人間に害をなす。文字を覚えた者は、それと引き換えに、何かを失う。目が悪くなり、記憶が衰え、頭髪が抜ける。文字を知る前の、生き生きとした力が、文字によって奪われていく。
老博士は、この「文字の禍」を書きしるす。だが、その報告は王の怒りを買う。そして、皮肉な結末が訪れる。大地震が起き、老博士は、崩れ落ちた大量の書物(粘土板)の下敷きになって、圧死する。 文字に憑かれた者が、文字の重みそのものに、押し潰されて死ぬ。
文学史における評価と影響
中島敦の短篇のなかでも、最も観念的で寓話的な作品とされる。山月記や名人伝と同じく、異国・古代を舞台にした知的な寓話にあたる。
主題は、言葉と存在の関係である。文字は、物事を記録し、伝える便利な道具である。だが同時に、文字は、生き生きとした現実を、干からびた記号に変えてしまう。文字を得ることは、何かを失うことでもある。中島は、この言語をめぐる根源的な問いを、古代の寓話に託した。
「ゲシュタルト崩壊」——一つの文字を見続けると意味が失われる現象を、文学的に描いた早い例としても知られる。意味とは、いかに危うい約束事の上に成り立っているかを、老博士の体験は示す。
中島自身の問題が、この作品には投影されている。中島は、言葉によって世界を捉えようとする作家だった。だが同時に、言葉が現実を取り逃がすこと、言葉に囚われることの危うさを、痛切に意識していた。 この作品は、書く者の宿命への、鋭い自己言及として読める。
古代オリエントの博識に裏打ちされた設定も見どころにあたる。中島は、アッシリアの歴史や文化を巧みに用い、乾いた粘土板と楔形文字の世界を、鮮やかに立ち上げた。
短く、観念的でありながら、言葉というものの本質を突く寓話として、繰り返し論じられている。
あらすじ
古代アッシリア、首都ニネヴェ。アシュル・バニ・アパル王の治世である。
王の壮麗な図書館には、無数の粘土板の書物が収められている。その図書館で、近ごろ、奇妙なことが起きていた。 誰もいないはずの夜、書物のあいだから、ひそひそと、何かがささやく声が聞こえるというのである。
不審に思った王は、老博士ナブ・アヘ・エリバに、この怪異の正体を調べるよう命じる。「文字には、精霊が宿っているのか。それとも、これは何かの祟りか」
老博士は、来る日も来る日も、粘土板の文字を睨んで、研究に没頭する。
やがて、老博士は、奇妙な感覚に襲われる。一つの文字——たとえば「牡牛」を表す文字を、じっと見つめ続けていると、それが、ただの線の寄せ集めにしか見えなくなる。なぜ、この意味もない線の集まりが、「牡牛」という音を持ち、あの角のある獣を表すのか。意味が、ふいに剝がれ落ちてしまうのである。
老博士は、確信に至る。文字には、やはり霊が宿っている。文字の精である。
そして、その文字の霊は、人間に害をなす。文字を覚えた者は、その代償に、大切なものを失っていく。目はかすみ、髪は抜け、記憶は衰える。文字を知らなかった昔の人々のほうが、はるかに健やかで、記憶力も強く、生き生きとしていたではないか。
老博士は、街の人々に問うて回る。文字を覚えてから、くしゃみが増えた者、目が悪くなった者、以前より臆病になった者——みな、文字のせいだ、と老博士は考える。
老博士は、この「文字の禍」についての研究を、一枚の粘土板に書きしるし、王に報告する。「文字を扱う者は、文字の霊に、生命力を吸い取られていく」と。
だが、この報告は、書物を愛する王の逆鱗に触れる。老博士は、王の不興を買い、失脚する。
そして、皮肉な最期が訪れる。
ある日、ニネヴェを、大地震が襲う。
家々が崩れ、図書館の壁が倒れる。老博士は、たまたまその図書館にいた。崩れ落ちた壁とともに、書架に積まれていた無数の粘土板の書物が、老博士の上に、雪崩れ落ちる。
文字に憑かれ、文字の恐ろしさを説いた老博士は、その大量の文字——粘土板の重みの下敷きになって、圧死した。
文字の禍を暴こうとした者が、文字そのものに押し潰されて死ぬ。この皮肉な結末をもって、物語は閉じられる。