名人伝

作者
中島敦
成立
1942
日本
時代
近代

概要

弓の名人をめざした男が、極めた果てに、弓が何かさえ忘れてしまう話である。短い寓話にあたる。

古代中国。紀昌という男が、天下一の弓の名人になろうと志す。名手・飛衛に弟子入りし、恐るべき修行を重ねる。まず「またたきをしないこと」を二年、次に「小さいものを大きく見ること」を三年。ついには、虱を車輪のように大きく見て、射抜けるようになる。

技を極めた紀昌は、やがて師をも超えようとする。師を殺そうとまでするが、思いとどまる。 師は、さらに上に、老師・甘蠅がいると告げる。

紀昌が山奥に甘蠅を訪ねると、その老人は、弓も矢も使わずに、鳥を射落とす。弓を持たずに射る「不射之射」——道具を超えた究極の境地である。紀昌は、そこで九年を過ごす。

山を下りた紀昌は、別人のようになっている。そして、晩年、ついに究極の境地に至る。ある日、紀昌は、弓を見て、「これは何をする道具か」と尋ねる。弓という名も、その用途も、すっかり忘れてしまったのである。

技を極めた者が、技を、道具を、そして「極めよう」という意識すらも忘れる。それこそが、名人の到達点だった、という逆説がここにある。

文学史における評価と影響

中島敦の代表的な短篇であり、山月記と並んで広く読まれている。中国の古典に材をとった、寓話的な作品にあたる。

素材は、中国の古典(『列子』など)に見える弓の名人の説話である。中島は、その故事を再構成し、「技を極めるとは何か」という主題を、鮮やかな寓話に仕立てた。

主題は、究極の熟達の逆説である。ふつう、名人とは、技を意識的に完璧に操る者だと考えられる。だが中島の描く名人は、その逆へ向かう。技を極めた果てに、道具さえ忘れ、「射る」という意識すら消える。「不射之射」——射ないことによって射るという、東洋的な達人の境地が示される。

「弓とは何か」を忘れる結末が、この作品を忘れがたいものにしている。技術の頂点が、無為・忘却として描かれる。老荘思想や禅の「無」の境地に通じる、深い逆説である。

中島の簡潔で格調高い文体が、この寓話を支えている。漢文の素養に裏打ちされた、引き締まった文章で、無駄なく物語が進む。そのため、教科書にも採られ、多くの読者に親しまれてきた。

中島は、この作品を書いた1942年に、三十三歳の若さで病没した。山月記とともに、短い生涯が遺した、彫琢された名品として読み継がれている

あらすじ

古代中国、趙の都。紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てる。

紀昌は、当代随一の名手飛衛に弟子入りする。だが飛衛は、すぐには弓を教えない。「まず、またたきをしないことを覚えよ」と命じる。

紀昌は家に帰り、妻の織機の下に寝転んで、上下する踏み木を見つめ続ける。 二年の後、彼は、目の前で錐を突きつけられても、まばたき一つしなくなった。

次に飛衛は、「小さいものが大きく見え、微かなものがはっきり見えるようになったら、また来い」と命じる。

紀昌は、虱を一匹、毛で結んで窓に吊るし、来る日も来る日もそれを見つめる。三年の後、虱は、馬の大きさに見えるようになった。 試しに射ると、矢は虱の心臓を貫き、しかも虱を吊るした毛は切れなかった。

飛衛は、ようやく紀昌を一人前と認める。紀昌の腕は、みるみる上達し、やがて師に迫るほどになる。

だが、腕が上がるにつれ、紀昌の心には、暗い野心が芽生える。師の飛衛さえ倒せば、自分が天下一になれる。ある日、二人は野で出会い、互いに矢を射合う。矢は空中でぶつかり合って落ちる。 紀昌が不意打ちの一矢を放つと、飛衛は野茨の枝でそれを払い落とす。

紀昌は、己の邪心を恥じる。飛衛もまた、弟子を許す。そして飛衛は言う。自分の上には、まだ真の名人がいる。西の山に住む老師甘蠅、あの人こそ、本物だ、と。

紀昌は、甘蠅を訪ねて、けわしい山を登る。ようやく会えた甘蠅は、よぼよぼの老人だった。紀昌が腕を見せようと、飛ぶ鳥を射落としてみせると、甘蠅は静かに笑い、「それは射之射だ。不射之射を知らぬな」と言う。

甘蠅は、弓も矢も持たずに、ただ空を見上げる。すると、高く飛んでいた鳶が、はらはらと落ちてきた。 弓を使わずに射る——道具を超えた究極の境地である。紀昌は、深く打たれる。

紀昌は、この老師のもとで、九年の歳月を過ごす。

山を下りたとき、紀昌の顔つきは、すっかり変わっていた。かつての鋭い野心の色は消え、木偶のように、愚者のように、穏やかになっていた。

都に戻った紀昌は、二度と弓を手に取ろうとしない。それでいて、その存在からは、名人の風格がにじみ出ていた。 泥棒も、彼の家を避けて通った。

そして、紀昌の晩年。

ある日、知人の家を訪ねた紀昌は、そこに置かれていた道具を見て、怪訝な顔をする。そして、こう尋ねた。

「これは、何という道具か。何に用いるものか」

それは、弓だった。天下一の名人をめざした男が、その果てに、弓という名も、用途も、すっかり忘れ果てていたのである。

技を極めた者が、技を忘れ、道具を忘れ、「極めよう」とした自分さえ忘れる。その境地こそが、名人の到達点だった。 都の人々は、これを聞いて、いよいよ紀昌を、真の名人と讃えたという。

作者

登場する文学史