陰翳礼讃

作者
谷崎潤一郎
成立
1933-1934
日本
時代
近代

概要

明るくすると台無しになるものについて書いた随筆である。六十ページほど。

きっかけは家を建てることだった。日本風の家に電灯や暖房や便器を入れようとすると、必ず不格好になる。 谷崎はそこから、なぜそうなるのかを考え始める。

答えは、日本の道具と建築が暗さを前提に作られているというものである。

漆器は暗いところで見ると、蒔絵が沈んだ金色に光る。明るい電灯の下では、ただの派手な塗り物に見える。 金屏風も同じで、暗い座敷の奥で、わずかな光を受けて初めて意味を持つ。

料理も同じである。羊羹の色は、暗い部屋で漆の器に入れて初めて美しい。味噌汁の濁った色も、暗さの中では悪くない。

能の舞台、女の白粉、金歯、そして厠。谷崎は次々に例を挙げ、そのすべてが暗さと結びついていることを示す。

厠の章がとくに有名である。日本の厠は母屋から離れた薄暗い場所にあり、そこで用を足しながら虫の声や雨だれを聞く。それが日本の風雅の一部だった、と谷崎は言う。

書かれた時期に意味がある。1930年代、電灯が普及し、洋風の建築と設備が入り、街が明るくなっていた。谷崎は、その明るさによって何が失われつつあるかを書いた。

文学史における評価と影響

日本文化論として最も広く読まれた一冊にあたる。

論の骨格は明快である。日本の美は、物そのものではなく、それが置かれた光の条件によって成立している。 だから物だけを取り出して明るいところに置くと、意味が消える。

この見方は、建築とデザインの領域に強い影響を与えた。現在も国内外の建築家・デザイナーに引かれ続けている。英訳は"In Praise of Shadows"として広く読まれ、日本の美意識を説明する定番の書物になっている。

同時に、この随筆は日本文化の本質論として読まれすぎているという指摘もある。谷崎は体系的な理論を述べていない。思いつくままに例を挙げ、脱線し、冗談を交える。 学術的な文化論ではなく、一人の小説家の好みの表明という性格が強い。

内容にも偏りがある。西洋を明るさ、日本を暗さと単純に対比する箇所が多い。当時の日本が置かれた状況——西洋化への反発——が背景にあり、その文脈を外して読むと、素朴な二項対立に見える。

同時期の春琴抄と読み合わせられることが多い。どちらも1933年である。佐助が目を突いて暗闇に入り、そこで春琴の美が保存される。この随筆の主張が、小説の形をとったものと読める。

内容

書き出しは家の話である。日本風の家を建てようとすると、電気の配線、ガス、水道の始末に困る。明るい電灯を吊ると、せっかくの座敷が台無しになる。

紙。西洋の紙は光を跳ね返すが、和紙は光を吸い込む。触れると柔らかく、折れても音がしない。この差が、そのまま二つの文化の性格を示している。

厠。日本の厠は、母屋から離れた植え込みの陰にある。薄暗く、清潔で、外の音が聞こえる。谷崎はここを、日本建築のなかで最も風雅な場所だと言う。 近代の白いタイル張りの便所は、明るすぎて落ち着かないと書く。

漆器。暗いところで使うために作られている。汁椀の蓋を取ると、闇の中に汁の色が沈んでいる。その暗さの中で、何が入っているかを目ではなく手と匂いで知る。 陶器の器では、この体験は起こらない。

料理。羊羹を例に挙げる。あの色は暗い部屋でこそ美しい。明るい皿に載せると、ただの黒い塊になる。 白飯も、蓋を取ったときの湯気と艶が暗さの中で映える。

座敷。日本の座敷は、光を取り込むのではなく、遮って弱めるように作られている。深い庇、障子、床の間の奥の暗がり。床の間には何もない。ただ影がある。

女。かつて日本の女は、暗い奥の間にいて、顔と手だけが白く浮かんでいた。歯を黒く染め、顔を白く塗るのは、暗さの中で顔だけを際立たせる工夫だった。

能と歌舞伎の対比。能は暗い舞台で、衣装の金糸が鈍く光る。電灯で明るくすると、能の面も衣装も安っぽく見える。

終わりに、谷崎はやや投げやりに書く。すでに時代は明るいほうへ動いており、これを止めることはできない。せめて文学のなかにだけでも、この失われつつある世界を残しておきたい、と述べて締めくくる。

作者

登場する文学史