白痴

作者
坂口安吾
成立
1946
日本
時代
現代

概要

空襲のさなか、男が知的障害のある女とともに逃げる話である。三十ページほど。

主人公は映画会社に勤める男。豚小屋のような長屋に住み、周囲の人間を軽蔑しながら、自分も同じ場所で生きている。 隣人の下劣さ、勤め先の卑俗さに嫌気がさしているが、抜け出せない。

ある日、隣家の白痴の女が、男の部屋に逃げ込んでくる。夫から逃れてきたのである。言葉をほとんど話さず、何も考えていないように見える。 男は成り行きでこの女をかくまい、ともに暮らし始める。

そこへ空襲が来る。

東京は焼け、人々は逃げ惑う。男は女の手を引いて火の中を走る。このとき、男と女のあいだにあるのは愛でも同情でもない。 ただ、生きて逃げるという一点だけである。

焼け跡で、二人は泥のように眠る。男は、この何も考えない女と、いつまでこうしていられるのかを考える。明日のことは分からない。

坂口安吾は同じ年に評論『堕落論』を発表している。堕ちよ、生きよ、と説いたその主張を、小説の形にしたのがこの作品とされる。

文学史における評価と影響

戦後文学の出発点を告げた作品の一つにあたる。

安吾は、無頼派あるいは新戯作派と呼ばれる作家群の中心にいた。太宰治、織田作之助らとともに、戦後の混乱のなかで、既成の道徳や権威を疑う小説を書いた。この作品はその代表にあたる。

主題は、戦争が人間を裸にすることである。空襲下では、地位も教養も意味を失う。残るのは、生きようとする体だけである。白痴の女は、何も考えないぶん、その裸の状態を最初から生きている。男は火の中で、その女と同じ地点まで落ちる。

『堕落論』との関係が繰り返し論じられる。安吾は評論で、戦後の日本人は偽りの道徳を捨てて、いったん堕ちきることでしか生き直せない、と説いた。この小説の男は、白痴の女とともに、まさに堕ちていく。 そして、堕ちた場所からしか始められないものがある、と示される。

女の造形には批判もある。白痴の女を、男の再生の道具として描いているのではないか、という指摘である。女自身の内面はほとんど書かれない。 この点は、時代による読みの変化とともに議論されてきた。

安吾の文体は、屈折した長い文と、突き放した観察が混ざる独特のものにあたる。その混沌そのものが、敗戦直後の空気を伝えるとされる。

あらすじ

主人公の男は、映画会社で文化映画を作る仕事をしている。戦時下で、くだらない宣伝映画ばかりを撮らされている。

住んでいるのは、豚小屋の隣にあるような長屋である。周囲の住人を、男は心の中で軽蔑している。 亭主の目を盗んで男を引き入れる女房、下品な会話、あさましい暮らし。だが男自身も、そこから出られない。

隣の家には、白痴の女とその夫が住んでいる。女は口をきかず、いつも夫に殴られている。

ある夜、その女が男の部屋に忍び込んでくる。夫から逃げてきたのである。 男は驚くが、追い出さない。成り行きで、女をかくまう。

女は何も考えていないように見える。問いかけても、まともに答えない。ただ、男のそばにいる。男は、この女を持て余しながら、追い出すこともしない。二人の奇妙な同居が始まる。

そして、空襲が来る。

激しい爆撃で、東京の街が燃え上がる。人々は防空壕へ、川へ、郊外へと逃げ惑う。

男は女の手を引いて、火の海の中を走る。焼夷弾が降り、炎が渦を巻く。女は何も分からないまま、男に引かれて走る。男はこのとき、女を守っているのか、女に引きずられているのか、自分でも分からない。

火をくぐり抜け、二人は焼け残った場所にたどり着く。疲れ果てて、泥のように眠る。

男は、眠る女の顔を見る。何も考えていない、白痴の顔である。この女と、これからどうなるのか。 明日も生きているかどうかも分からない。

男は考える。この女を捨てて、一人で逃げることもできる。だが、そうする気にもなれない。確かなことは何もないまま、二人は焼け跡に横たわっている。

作者

登場する文学史