一九二八年三月十五日

作者
小林多喜二
成立
1928
日本
時代
近代

概要

共産党員が一斉検挙され、警察で拷問を受けた事件を描いた小説である。

小林多喜二は、蟹工船で知られるプロレタリア文学の作家である。この作品は、実際に起きた弾圧事件を題材にしている。

一九二八年三月十五日、政府は、日本共産党の関係者を全国で一斉に検挙した。「三・一五事件」と呼ばれるこの大弾圧で、多くの活動家が捕らえられた。多喜二の故郷・小樽でも、労働運動に関わる人々が逮捕された。

この小説は、その事件を、捕らえられた活動家たちの側から描く。中心となるのは、拷問の場面である。警察に連行された者たちは、自白を強要され、想像を絶する暴力を加えられる。殴る、蹴る、吊るす、水を飲ませる——多喜二は、その残虐な拷問の実態を、目をそむけずに書いた。

拷問に耐える活動家たちの姿を通して、多喜二は、権力の暴力と、それに屈しない人間の意志を描こうとした。この生々しい告発によって、多喜二は、官憲に強くにらまれることになる。後に多喜二自身が拷問で命を落とすことを思えば、この作品は、痛ましい予言のようにも読める。

文学史における評価と影響

日本のプロレタリア文学を代表する作品の一つであり、小林多喜二の名を高めた出世作にあたる。

この作品の衝撃は、警察による拷問の実態を、初めて正面から描いた点にある。当時、官憲の暴力は、公にはほとんど語られなかった。多喜二は、実際の事件に取材し、その残虐な拷問の様子を、生々しく告発した。権力が隠そうとした暴力を、文学が暴き出した。

主題は、国家権力の暴力と、それに抵抗する人間の意志である。捕らえられた活動家たちは、耐えがたい拷問を受けながらも、仲間を売らず、信念を守ろうとする。多喜二は、その不屈の姿に、抑圧される者の尊厳を見た。

プロレタリア文学の方法が、ここに明確に現れている。文学を、虐げられた者の側に立ち、社会の不正を告発する武器とする。芸術のための芸術ではなく、闘いのための文学。 この作品は、その理念を、強烈な形で実践した。

一方、政治的な主張が前に出すぎるという批判も、後にはなされた。それでも、権力の暴力を告発したその勇気と迫力において、この作品は、時代を刻む記録となった。 多喜二自身が、五年後に特高警察の拷問で虐殺されたことは、この作品の告発が真実だったことを、悲劇的に裏づけている。

あらすじ

一九二八年三月十五日。この日、日本政府は、全国で一斉に、日本共産党の関係者や、労働運動・社会主義運動に関わる人々を、検挙した。

物語の舞台は、多喜二の故郷である北海道の小樽である。この港町でも、労働組合の活動家や、運動に関わる人々が、次々に警察に捕らえられていく。

捕らえられるのは、さまざまな人々である。工場や港で働きながら運動に身を投じた労働者、知識人、そしてその家族。 彼らは、突然、家や職場から連行され、警察署の留置場へと放り込まれる。

そして、警察署のなかで、過酷な取り調べが始まる。

警察は、活動家たちに、組織の情報や、仲間の名前を白状させようとする。そのために加えられるのが、想像を絶する拷問である。竹刀や木刀で殴りつけ、足で蹴り、体を逆さに吊るす。気を失えば水を浴びせて起こし、また殴る。多喜二は、その残虐な暴力の場面を、細部まで、目をそむけることなく描いていく。

拷問を受ける者たちは、耐えがたい苦痛にさらされる。それでも、多くの者は、仲間を売ることを拒み、信念を捨てまいと、歯を食いしばって耐える。 肉体は打ち砕かれても、その意志は屈しない。

一方で、捕らえられた者の家族や、外にいる仲間たちの姿も描かれる。夫や息子を連行された家族の不安。それでも運動を続けようとする、残された者たちの決意。

権力の暴力の凄まじさと、それに屈しない人間の意志。多喜二は、この事件を、抑圧される者の側から描き切ることで、国家権力の非情さを、痛烈に告発した。 その生々しい記録は、当時の読者に、大きな衝撃を与えた。

作者

登場する文学史