ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク

原綴
Gottfried von Straßburg
生没
不明–1210頃
出身
シュトラースブルク(現・フランス、ストラスブール)
ドイツ
時代
中世

生涯

生涯についてはほとんど何も分かっていない。生年は不詳、没年も1210年頃という推定である。

「フォン・シュトラースブルク」という呼び名から、シュトラースブルク(現在のフランス、ストラスブール)に縁のある人物と考えられる。同時代の記録では「ミスター(Meister)」と呼ばれており、騎士階級ではなく市民出身の学識者だったとされる。

作品からは、ラテン語の教育を受け、フランス語に通じ、神学と修辞学と音楽の知識を持っていたことが読み取れる。都市の行政に関わる書記のような立場だったという推定が有力だが、確証はない。

『トリスタン』は未完で終わった。ゴットフリートの死によるものとされ、後に別の詩人が二種類の続篇を書いている。

作風

ゴットフリートの文体は、中高ドイツ語のなかで最も洗練されたものとされる。

構文が明晰で、音の配置が緻密である。同じ語を位置を変えて繰り返す技法、対句、頭韻を組み合わせ、意味と響きを同時に組み立てる。この技術は修辞学の訓練によるもので、同時代のヴォルフラムの入り組んだ語り口とは正反対にある。ゴットフリートは作中で、名を挙げずにヴォルフラムの難解さを批判した。

主題は、社会の秩序と両立しない愛である。トリスタンとイゾルデは媚薬を飲んで愛し合う。それは選択でも罪でもなく、避けられない事態として与えられる。だがイゾルデは主君マルケ王の妃であり、トリスタンはその臣下で甥にあたる。二人の愛は、封建的な忠誠と婚姻の秩序を根底から壊すものになる。

ゴットフリートはこの愛を裁かない。むしろ宗教的な語彙で語る。愛する者たちを「高貴な心を持つ者」と呼び、その苦しみを聖なるものとして扱う。愛のために森の洞窟で暮らす場面では、その洞窟が教会堂の構造になぞらえられ、寝台が祭壇に対応させられる。

同時に、欺きが繰り返される。二人は嘘と策略で関係を隠し続け、イゾルデは神明裁判すら言葉のあやによって切り抜ける。神が偽りを見過ごしたようにも読める場面であり、解釈が分かれてきた。

作品

『トリスタン』(1210年頃、未完)

唯一の作品である。約一万九千行の韻文で、フランスのトマの版を素材にしている。

物語の骨格は次のとおりである。トリスタンは主君マルケ王のために、アイルランドの王女イゾルデを妃として連れ帰る。船中で二人は、王と妃のために用意されていた媚薬を誤って飲む。二人は愛し合うようになり、イゾルデが王と婚礼を挙げた後も関係を続ける。発覚を恐れて偽装を重ね、追放され、森で暮らし、そして宮廷へ戻る。ゴットフリートの筆は、トリスタンが別のイゾルデ(白い手のイゾルデ)と出会い、名の一致に心を動かされる場面で途切れる。

日本語では全訳がある。

文学史における立ち位置と影響

ゴットフリートは、ヴォルフラム、ハルトマン・フォン・アウエとともに、中高ドイツ語の宮廷叙事詩を代表する三人に数えられる。

『トリスタン』は、トリスタン伝説のヨーロッパにおける最も重要な版の一つになった。素材となったフランスの版が断片でしか残っていないため、この作品が伝説の内容を伝える主要な典拠になっている。

社会の規範に反する愛を肯定的に書いた点で、以後の恋愛文学の系譜に置かれる。中世の宮廷風恋愛が、報われないことを前提とする様式だったのに対し、この作品は成就した愛が秩序を破壊する事態を扱った。

ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』(1865年)が、この作品を素材にしている。ただしワーグナーは物語を大幅に整理し、愛と死の合一という主題へ集約させた。原作の欺きと策略の部分は取り除かれている。近代におけるこの物語の知名度は、大部分がワーグナー経由である。

未完であることも、受容に影響した。二種類の続篇が書かれ、結末をどう考えるかが議論の対象になっている。

日本では翻訳とワーグナーの上演を通じて知られ、シェイクスピア以前のヨーロッパの恋愛物語として言及される。

登場する文学史