骰子一擲

原題
Un coup de dés jamais n'abolira le hasard
作者
ステファヌ・マラルメ
成立
1897
フランス
時代
19世紀

概要

1897年5月、雑誌『コスモポリス』に発表された詩である。正式な題は「骰子の一擲は決して偶然を廃棄しないであろう」で、日本では「骰子一擲」と略される。

通常の詩とは印刷の形が違う。行を左端で揃えず、活字の大きさを何種類にも変え、語句を見開き二ページの全体に散らして置く。

大きな活字だけを拾って読むと、題と同じ一文が現れる。そのあいだに、より小さな活字で別の句が挟まる。さらに小さな活字で、また別の句が入る。マラルメは序文で、これを楽譜になぞらえた。同時に複数の声が進む形である。

余白も要素として扱われる。序文でマラルメは、白い部分が沈黙として働くと述べている。

マラルメは1842年に生まれた。英語教師として生計を立てながら詩を書いた。極端に遅く、少なく書く詩人で、生前に出た詩集は薄い。

マラルメは生涯にわたって「書物」という構想を抱いていた。世界のすべてを含む一冊の絶対的な書物である。マラルメは、世界は一冊の美しい書物に至るために存在する、と書いた。この構想は実現しなかった。この作品は、その方向を示す試みとして読まれてきた。

雑誌への掲載は、マラルメの意図を満たすものではなかった。マラルメが望んだのはより大きな判型と、精密な活字の配置である。別に豪華な単行本を準備し、校正刷りに細かな指示を書き込んでいた。

その刊行を見ずに、翌1898年9月、マラルメは急死した。咽頭の痙攣による窒息で、五十六歳だった。単行本の刊行は1914年、死後十六年を経てからになる。

マラルメは死の前日、家族に宛てて、未完の原稿をすべて焼くようにと書き遺している。

文学史における評価と影響

ページという空間を詩の要素にした点が、この作品の中心にある。従来の詩は行を揃え、上から下へ読まれた。ここでは語句が見開き全体に散らばり、活字の大きさが階層をなす。読者の目は直線ではなく空間的に動く。余白は沈黙として働く。

複数の声が同時に進む構造も新しい。大きな活字の一文と、そのあいだに挟まる小さな活字の句は、順に読まれるのではなく重なって響く。

20世紀への影響は大きい。アポリネールのカリグラム、未来派の自由な活字組、ダダ、戦後の具体詩は、いずれもこの方向にある。

20世紀後半には、テクスト理論の対象として繰り返し論じられた。ブランショ、デリダらがこの作品を扱っている。

「偶然」の主題も核心にあたる。骰子を投げても偶然は消えない。絶対的な詩を書こうとする試みは必ず失敗する。だがその失敗を知りながら、なお賭けは投じられる。この認識はマラルメの詩論の根幹であり、20世紀の文学が繰り返し立ち返る地点になった。

音楽との関係も論じられる。ドビュッシーはマラルメの半獣神の午後に曲を付けた。この作品の楽譜的な構造は、後にブーレーズらの作曲家に参照されている。

日本語訳では、活字の配置そのものが作品の本質であるため、訳の難度が高い。原書の版面を併記する形の訳が多い。

内容

作品を貫く光景は難破である。

嵐の海。沈みつつある船。老いた船長が、握った拳の中に骰子を持っている。それを投げるか、投げないか。投げれば偶然に身を委ねることになる。投げなければ何も起きない。

だが、投げたとしても——骰子の一擲は決して偶然を廃棄しない。どれだけ賭けても、偶然そのものは残り続ける。

船は沈む。渦が広がる。そして最後に、空に星座が現れる。

作品は「あらゆる思考は骰子の一擲を放つ」という一句で閉じられる。

読解は確定していない。船長を詩人、骰子を詩を書く行為と読む見方が広く行われている。言葉で絶対的なものに届こうとする試みは賭けであり、その賭けは偶然を消せない。完全な詩は書かれえない。それでも賭けは投じられる、という読みである。

ただしこの解釈を確定したものと扱うことにも慎重さが要る。この作品は、単一の意味に還元されることを拒む構造を持っている。

作者

登場する文学史