ディヴァガシオン
- 作者
- ステファヌ・マラルメ
- 成立
- 1897
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
概要
詩と言葉をめぐる根源的な思索を、難解な散文で展開した散文集である。
マラルメは、詩集で象徴主義の頂点をなす詩をうたった。この『ディヴァガシオン』は、その彼が、散文で書いた、批評・詩論・散文詩を集めたものにあたる。 題は「さまざまな主題への思いのさまよい」といった意味である。
この本にはマラルメの詩と言葉についての思索が、凝縮されている。とりわけ名高いのが「詩の危機」と題された文章である。マラルメはそこで近代における詩の状況を、深く分析する。
マラルメは言う。日常の言葉はものを、貨幣のように、伝達の道具として、扱う。「花」と言えば、それは、現実の花を指し示す、実用的な記号にすぎない。だが詩の言葉は違う。 詩は、言葉を、実用から解き放ち、その響きと暗示によって、現実には存在しない、観念としての花——「どんな花束にも見られない花」を、立ち現れさせる。
こうした、言葉の二つのあり方をめぐる思索が、この散文集を貫いている。マラルメの散文はその詩と同じく、きわめて難解で、凝縮されている。だがそこには近代詩の理念の最も深い表明がある。
文学史における評価と影響
マラルメの詩論を伝える、最も重要な散文集であり、近代詩の理念を知るうえで、不可欠の書とされる。
この本の中心をなすのが、「詩の危機」である。マラルメはそこで言葉には、二つのあり方があると説く。一つは伝達のための日常の実用的な言葉。もう一つは暗示によって美を生む、詩の言葉。「詩人は、部族の言葉に、より純粋な意味を与える」という彼の理念がここに示されている。
主題は言葉と、現実と、詩の関係である。マラルメにとって、詩とは、現実を模写することではない。言葉によって、現実にはない、純粋な美の世界を、創造することだった。 この言葉の創造性への深い自覚は、近代詩の根本的な理念となった。
難解な散文でありながら、この本は、後の詩人や、批評家に、絶大な影響を与えた。ヴァレリーはマラルメを、生涯の師とした。 二十世紀の言葉そのものを問う文学や、詩論の多くが、このマラルメの思索を、出発点としている。
マラルメの詩(詩集・骰子一擲)と、この散文集は、あわせて、「純粋な詩」を求めた、彼の生涯の探究の全体を伝えている。近代詩の理念の最も深い源泉の一つにあたる。
内容
『ディヴァガシオン』はマラルメが、それまでに書いた、批評、詩論、散文詩などを、集めて編んだ散文集である。「ディヴァガシオン」とは一つの主題から、あちこちへと、思いがさまようこと、という意味の言葉である。
この本にはマラルメが生涯をかけて考え続けた、「詩とは何か」「言葉とは何か」という問いをめぐる、思索が、収められている。
その中心をなすのが「詩の危機(Crise de vers)」と題された、有名な文章である。
マラルメはそこでまず言葉の二つのあり方を、区別する。
一つは日常の実用的な言葉である。私たちがふだん使う言葉は、ものを、正確に伝達するための道具である。「花」と言えば、それは、現実の花を指し示す。それは貨幣のように、意味を、やり取りするための記号にすぎない。
だが詩の言葉はそれとはまったく違う。
マラルメはこう書く。「私が『花!』と言う。すると、私の声が、いかなる輪郭をも消し去るその忘却のかなたから、どんな花束にも見られない花が、音楽のように、立ちのぼる」。
つまり詩において、「花」という言葉は現実の特定の花を、指し示すのではない。言葉の響きと、暗示によって、現実には存在しない、観念としての花——あらゆる花の純粋な本質そのものが、立ち現れる。 詩人の仕事とは、言葉を、実用の道具から解き放ち、この純粋な美を、創造することにある。
マラルメはこうした思索を通じて、詩を、現実の模写から、言葉による創造へと、根底から捉え直す。「詩人は、部族の言葉に、より純粋な意味を、与える」——これが、彼の詩人の使命についての有名な言葉である。
散文集にはこのほかにも、演劇論、音楽論、同時代の詩人論、そして凝縮された散文詩などが、収められている。そのいずれもがマラルメ特有の難解で、彫琢された文体で、書かれている。
読み解くことは容易ではない。だがそこには言葉と詩の本質をめぐる、近代詩の最も深い思索が、たたえられている。 マラルメの理念の核心を伝えるこの散文集は、後の詩と文学に、はかりしれない影響を与え続けている。