サント=ブーヴに反論する
- 作者
- マルセル・プルースト
- 成立
- 1954
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
概要
作品を作者の生活から説明する批評を否定した、プルーストの草稿である。
プルーストは、失われた時を求めてを書き始める前、ある批評的な文章を書いていた。それがこの『サント=ブーヴに反論する』にあたる。 生前には完成されず、死後、草稿が発見されて、刊行された。
サント=ブーヴは、十九世紀フランスの最も有力な批評家だった。彼の批評の方法は作品を作者の伝記や、私生活から説明することだった。 ある作品を理解するには、その作者が、どんな人物でどんな生活を送っていたかを知ればよい、と彼は考えた。
プルーストはこの方法を真っ向から否定する。「一冊の本は、私たちが、日常の習慣や、社交や、悪癖のなかで示している自我とは、別の自我の産物である」——プルーストは、そう主張する。
作品を生み出す「深い自我」は、作者の社交的で日常的な「表面の自我」とは別のものである。だから作者の私生活をいくら調べても、作品の本質には、たどり着けない。作品はその作者の内奥の隠された自我からしか、生まれない。
この作品と作者をめぐる思索は、やがて批評の枠を超えて、失われた時を求めてという、あの大長篇の母胎となっていく。
文学史における評価と影響
プルーストの文学論の核心を示す草稿であり、失われた時を求めての生成を知るうえで不可欠の作品とされる。
この作品の最大の意義は、批評の方法をめぐる、根本的な問題提起にある。当時、支配的だったサント=ブーヴの作者の伝記から作品を説明する方法をプルーストは、退ける。作品を生む自我と日常を生きる自我とは、別のものだという彼の主張は批評のあり方を根底から問い直すものだった。この考えは後のテクストそのものを重視する批評へと通じていく。
失われた時を求めてとの連続性が、決定的である。この草稿ははじめ、批評的な文章として、書かれた。だが書き進めるうちにそこに母の思い出や、少年時代の記憶といった、小説的な要素が、入り込んでくる。批評がいつしか回想と物語へと変わっていく。その混じり合いのなかからあの大長篇が、生まれた。 この草稿は、いわば、失われた時を求めての原型なのである。
芸術の自律性という思想も、ここにある。芸術作品は作者の私生活や、社会的な事情に還元されない。それは作者の内奥の深い自我からのみ、生まれる。この芸術を外的な条件から独立した、自律的なものとして捉える見方は、二十世紀の芸術観の一つの基盤となった。
プルーストの文学についての思想の最も直接的な表明として、この草稿は、繰り返し読まれてきた。
内容
『サント=ブーヴに反論する』はプルーストが、失われた時を求めてに取りかかる前の時期に書いた、批評的な草稿である。生前には完成されず、公表もされなかった。プルーストの死後、遺された原稿が、整理され、刊行された。
この作品でプルーストが、批判の対象とするのが、十九世紀の高名な批評家、サント=ブーヴである。
サント=ブーヴは、当時、絶大な権威を持つ、批評家だった。彼の批評の方法は明快だった。ある作家の作品を理解するには、その作家が、どんな人間だったかを知ればよい。その生い立ち、性格、交友関係、私生活。それらを調べれば、作品の秘密は、解ける。作品は作者という人間の産物なのだから。
プルーストはこの方法に真っ向から異を唱える。
彼はこう主張する。「サント=ブーヴの方法は、次のことを見落としている。すなわち、一冊の本は、私たちが、習慣や、社交界や、悪癖のなかで示している自我とは、別の自我の産物なのだ」。
つまりプルーストによれば、人間には、二つの自我がある。一つは日常生活を送り、人と付き合い、社交界でふるまう、「表面の自我」。 そしてもう一つは、作品を生み出す、内奥の孤独な、「深い自我」である。
サント=ブーヴが調べるのは、作者の日常の「表面の自我」でしかない。だが作品はそこからは生まれない。作品はあくまで作者の内奥の隠された「深い自我」から、生まれるのである。だから作者の私生活をいくら詳しく調べても、作品の本質には、決して、たどり着けない。
プルーストはこの主張を論証しようとする。だが興味深いことに書き進めるうちにこの批評的な文章は、しだいにその性格を変えていく。
作品と記憶をめぐる思索のなかにプルースト自身のこまやかな回想が、入り込んでくる。 朝、目覚めるときの意識の状態。母が寝る前にしてくれた、キスの思い出。紅茶に浸したマドレーヌが、呼び覚ます、少年時代の記憶。
こうして批評はいつしか回想と物語へと溶け込んでいく。そしてその混じり合いのなかからやがて失われた時を求めてという、あの記憶と時間をめぐる、二十世紀最大の長篇小説が、生まれ出ることになる。
作品と作者をめぐる、鋭い文学論であると同時にあの大長篇の母胎となった草稿。プルーストの芸術についての思想の核心を伝えるものとして、この作品は、読み継がれている。