北の中国の愛人

作者
マルグリット・デュラス
成立
1991
フランス
時代
20世紀以降

概要

『愛人 ラマン』と同じ少女時代の恋を、より官能的に描き直した晩年の作品である。

デュラスは、愛人 ラマンで、仏領インドシナでの十五歳の少女と、裕福な中国人の男との恋を描き、世界的な成功をおさめた。この『北の中国の愛人』は、その愛人 ラマンの主題を、もう一度、書き直した作品にあたる。

なぜ、同じ物語を、もう一度書いたのか。きっかけは愛人 ラマンの映画化だった。その映画の出来に不満を抱いたデュラスは、自分自身の手で、いわば「映画のための」物語として、この作品を書いた。 そのため、この小説は、場面の指示や、映像的な描写を、多く含んでいる。

物語の骨格は愛人 ラマンと同じである。貧しいフランス人の少女と、裕福な中国人の青年との身分と人種を超えた、官能的な恋。 だがこの作品では、二人の愛が、より直接的に、より濃密に、そしてより幸福な色合いをもって、描かれる。

デュラスは生涯にわたって、この少女時代の記憶に、繰り返し立ち返った。一つの原体験を、角度を変えて、何度も描き直す。 その執拗な反復の最後の結実が、この作品である。

文学史における評価と影響

デュラスの晩年の作品であり、愛人 ラマンと対をなす、自己反復の達成とされる。

この作品の興味深さは同じ物語の「書き直し」である点にある。デュラスは代表作愛人 ラマンの映画化に不満を抱き、みずから、その物語を、もう一度、書いた。同じ素材が作者自身の手で、どう変奏されるか。 二つの作品を読み比べることで、デュラスの創作の秘密が、垣間見える。

愛人 ラマンが、記憶をたどる、断片的で、内省的な文体だったのに対し、この作品は、より直接的で、官能的で、映画的である。場面の指示が書き込まれ、二人の愛の情景が、より生々しく、より幸福に描かれる。同じ恋がより明るい光のもとに、描き直されている。

主題は変わらず、少女時代の禁じられた官能的な愛である。植民地、貧困、人種の壁。その障害を超えて結ばれる、少女と中国人の男。この原体験に、デュラスは、生涯、憑かれ続けた。

一つの記憶を、愛人 ラマン、そしてこの作品へと、繰り返し書き直したデュラスの営みは、記憶と創作の関係をめぐる、興味深い実例として、論じられてきた。晩年のデュラスのなお衰えぬ官能への感受性を示す作品にあたる。

あらすじ

フランス植民地時代のインドシナ(今のベトナム)。メコン川のほとりの暑く、湿った土地に、貧しいフランス人の一家が、暮らしている。

主人公はその家の十五歳半の少女である。母は太平洋の防波堤にも描かれたように、汚職に破滅させられ、一家は、貧困にあえいでいる。少女には粗暴な兄と、優しい弟がいる。

ある日、川を渡る渡し船の上で、少女は、一人の中国人の青年と、出会う。彼は北の中国からやってきた、大富豪の息子だった。上等な自動車に乗り、洗練された身なりのこの青年は、みすぼらしい身なりの少女に、心を奪われる。

貧しい白人の少女と、裕福な中国人の男。当時の植民地社会では人種と身分の壁が、二人を、固く隔てていた。 だが二人は、その壁を超えて、惹かれ合う。

青年は少女を、街の一角にある、自分の部屋へと、連れて行く。そこで二人は結ばれる。少女にとって、それは、初めての官能の体験だった。この作品ではその愛の情景が、愛人 ラマンよりも、いっそう直接的に、そして幸福な光のなかで、描かれる。

二人の逢瀬は続いていく。部屋のなかの二人だけの濃密な時間。 街の喧騒から隔てられた、その空間で、少女と青年は、身分も、人種も、忘れて、互いを、むさぼるように、愛し合う。

だがこの愛には初めから、終わりが、定められていた。青年の父は貧しい白人の娘との結婚を、決して許さない。 そして少女もまたいずれ、フランスへと、帰っていく運命にある。

二人はその避けがたい別れを、知っている。知っているからこそ、束の間の愛は、いっそう、切実に、燃え上がる。

やがて少女がフランスへ発つ日が、来る。二人の禁じられた官能の愛は、終わりを迎える。 だがその記憶は、少女——後の作家デュラス——の心に、生涯、消えることなく、刻まれる。

一つの原体験としての少女時代の愛。それを、もう一度、より明るく、より官能的に描き直して、晩年のデュラスは、生涯憑かれ続けた記憶に、あらためて、形を与えた。

作者

登場する文学史