銭鍾書
- 原綴
- 銭鍾書
- 生没
- 1910–1998
- 出身
- 江蘇省無錫
- 国
- 中国
- 時代
- 近現代
生涯
1910年、江蘇省無錫の学者の家に生まれた。幼くして古典に親しみ、驚異的な記憶力で知られた。
清華大学で学び、英文学を修めた。数学は零点に近かったが、国語と英語の成績が抜群だったため特例で合格した、という逸話が伝わる。
1935年、イギリスへ留学し、オックスフォード大学で学んだ。次いでパリでも学ぶ。この留学中に、後に作家・翻訳家となる楊絳と結婚した。二人は生涯にわたる伴侶であり、ともに学者だった。
1938年に帰国した。日中戦争のさなかであり、各地の大学で教えながら、困難な状況のなかで研究と創作を続けた。この時期に『囲城』が書かれている。
1949年の中華人民共和国成立後は、中国科学院(後の社会科学院)で古典文学の研究に従事した。政治運動のなかで、たびたび困難な立場に置かれる。文化大革命では、夫妻ともに下放され、労働に従事させられた。
文革後、その学識が改めて評価された。晩年は、大著『管錐編』の完成と改訂に取り組んだ。名声が高まった後も、取材や社会的な活動を避け、静かに研究を続けたことで知られる。1998年、八十八歳で死去した。
作風
銭鍾書の小説は、博識と機知でできている。
『囲城』は、留学から帰った青年、方鴻漸を主人公にする。彼は、偽の学位を買って帰国し、職と結婚をめぐって迷い続ける。優柔不断で、才もなく、しかし自尊心だけはある。この平凡な男の右往左往を通じて、当時の知識人社会が諷刺される。
題名の「囲城」は、城に囲まれた状態を意味する。作中で引かれる比喩によれば、結婚とは囲まれた城のようなもので、城の外の者は入りたがり、中の者は出たがる。結婚に限らず、人が常に、いま自分がいない場所を求めてしまうという普遍的な心理を指す。
文章は、比喩と警句に満ちている。一つの事柄を説明するのに、古今東西の知識から意表を突く比喩が引かれる。その連想の速さと博識が、独特の可笑しみを生む。同時に、その機知が鼻につくという批判もある。
諷刺の対象は、知識人の虚栄と俗物性である。偽の学位、派閥の争い、体面へのこだわり。留学帰りのインテリたちの滑稽さが、容赦なく暴かれる。作者自身がその世界の一員であるだけに、内側からの観察が鋭い。
学者としての著作は、小説とは別の顔を見せる。『管錐編』は、中国の古典を出発点に、西洋の文学・哲学を縦横に引きながら論じた膨大な札記(読書ノート)である。文語で書かれ、数千点の東西の文献を参照する。一つの主題をめぐって、時代も言語も超えて対応する例が集められる。専門分野に閉じない、横断的な学問の形を示している。
作品
『囲城』(1947年)
唯一の長編小説であり、代表作である。
『人・獣・鬼』(1946年)
短篇集である。
『談芸録』(1948年)は、詩論の札記である。中国の詩を論じながら、西洋の詩論を参照する。
『宋詩選注』
宋代の詩の注釈書で、その学識が発揮された仕事にあたる。
『管錐編』(1979年)は、晩年の主著である。中国の古典十種を軸に、東西の文献を横断して論じた大著で、全四巻(後に五巻)におよぶ。
日本語では『囲城』の訳がある。
文学史における立ち位置と影響
銭鍾書は、20世紀中国の知識人小説を代表する作家であり、同時に屈指の学者として、二つの領域で名を残した。
『囲城』は、中国近代文学における諷刺小説の代表作の一つとされる。知識人社会を内側から諷刺した点で、呉敬梓の儒林外史の系譜に連なる。ただし、その諷刺は制度への批判というより、人間の普遍的な弱さへ向けられている。
長く埋もれていた作品でもある。刊行後、政治的な状況のなかで顧みられなくなり、数十年にわたって忘れられていた。1980年代に再評価され、テレビドラマ化もされて広く読まれるようになった。刊行から評価の確立まで時間を要した例にあたる。
学者としての銭鍾書は、専門の細分化に抗する存在として位置づけられる。中国古典と西洋文学を等しく扱い、両者を対応させて論じる方法は、比較文学の実践として評価されている。『管錐編』は、その博識の記念碑とされる。
政治から距離を置いた知識人としても記憶される。名声を得た後も社会的な活動を避け、研究に沈潜した姿勢は、体制と文学者の関係が問われた時代にあって、一つの生き方を示している。
日本での受容は、『囲城』の翻訳と、学者としての仕事の紹介を通じて進んだ。中国の教養人の典型として言及されることが多い。