囲城

作者
銭鍾書
成立
1947
中国
時代
近現代

概要

1947年に刊行された長篇小説である。日中戦争期の1944年から翌年にかけて執筆された。

主人公の方鴻漸は、ヨーロッパ留学から帰国した青年である。四年間で三つの大学を転々とし、学位は取れなかった。帰国前に、アイルランド人から偽の博士号の証書を買っている。

この人物には、能力も悪意も乏しい。才気はあるが持続せず、意志が弱く、流されて決断する。作品はその生き方を、恋愛、就職、結婚を通して追う。

題名は作中の会話に由来する。フランスの諺として、結婚は包囲された城のようなもので、城の外の者は入りたがり、中の者は出たがるという言い方が引かれる。作中では結婚に限らず、職業も、人生の選択全般もそのように扱われる。

文体の特徴は比喩にある。ページごとに凝った直喩が置かれ、皮肉と学識が混ぜ込まれる。読ませるのは筋よりも文章そのものという評価がある。

銭鍾書は1910年、江蘇省無錫の生まれ。清華大学を出てオックスフォード大学に留学し、パリでも学んだ。帰国後は大学で教え、生涯を通じて古今東西の文献を渉猟した学者として知られる。

執筆は1944年から1946年、日本占領下の上海で行われた。妻の楊絳は劇作家として活動しており、その稼ぎで生活を支えていた。楊絳は後に、家事を引き受けて夫に執筆の時間を作ったと回想している。

作中の三閭大学の描写は、湖南省の国立師範学院で教えた経験にもとづくとみられる。

刊行後、まもなく政治状況が変わる。1949年の中華人民共和国成立以後、この作品は再刊されなかった。知識人を諷刺する内容が、時代に合わなかったためである。

銭鍾書は以後、小説を書いていない。学術に専念し、古典の注釈と比較文学の著作を残した。文化大革命では下放され、農村での労働に従事している。

1980年、三十三年ぶりに再刊された。1990年にテレビドラマ化され、全国的な人気を得たことで、広く読まれるようになった。1998年に死去した。

文学史における評価と影響

中国近代小説における諷刺の最高作の一つとされる。儒林外史の系譜に置かれることが多い。どちらも知識人の世界を扱い、誇張せずに人物の言動を並べることで滑稽さを示す。

同時代の中国文学の主流とは、性格が異なる。1930年代から40年代の中国では、社会の矛盾を告発する文学、抗戦を鼓舞する文学が中心だった。この作品には、そうした主張がない。 描かれるのは、戦争の周縁で自分の職と結婚に汲々とする人々である。この距離のとり方が、当時は評価されず、後年になって注目された。

主人公の造形も特異である。方鴻漸は英雄でも犠牲者でもなく、悪人でもない。決められないことによって、次々に悪い結果を招く。 この種の人物を長篇の中心に据えた例は、中国の小説では珍しい。

「囲城」という語は、作品を離れて日常語になった。結婚や職場について、入りたがる者と出たがる者の比喩として用いられる。

文体については評価が分かれる。比喩の密度が高く、学識の披露が随所にあることを、才気として評価する立場と、過剰として退ける立場がある。

日本でも訳が読める。比喩と当時の風俗への言及が多く、注のある版が読みやすい。

あらすじ

1937年、方鴻漸は帰国の船に乗っている。同船の女性鮑さんと関係を持ち、上陸すると相手は婚約者のもとへ去る。同じ船には、留学帰りの才媛蘇文紈がいて、方に好意を寄せている。

上海に着く。方は、亡くなった許嫁の実家である周家に世話になっており、その銀行に職を得る。実家の父からは早く身を固めろと言われる。

蘇文紈の周辺で、方は蘇の従妹の唐暁芙に惹かれる。蘇は自分が想われていると信じており、詩人の曹元朗も蘇に求婚している。方は蘇に断りを言えないまま関係を長引かせ、唐に近づく。

事情が露見し、唐からは軽蔑され、蘇からは絶交される。方は、はっきり断らなかったために両方を失う。 蘇は曹元朗と結婚する。

戦火が上海に及び、方は友人の趙辛楣らとともに、内陸の三閭大学に赴任することになる。旅は長く、船と車とバスを乗り継ぎ、宿は劣悪で、金は尽きる。同行者の一人、孫柔嘉という若い女性教員が、次第に方に近づく。

三閭大学は、地方に疎開して作られた新設校である。学長は権謀に長け、教員たちは学歴を詐称し、派閥を作り、互いを陥れる。方は偽の博士号を申告できなかったため、講師どまりで遇される。学者の世界の内幕が、細部にわたって諷刺される。

孫柔嘉の仕掛けと周囲の噂によって、方は婚約したことになっている。方は自分から求婚した覚えがないまま、そのまま結婚する。

契約を更新されず、二人は職を失って上海へ戻る。生活は苦しく、双方の親族が干渉する。結婚生活は口論の連続になる。 些細なことから激しい喧嘩になり、孫柔嘉は家を出る。

一人残された方は、部屋で古い掛時計の音を聞く。その時計は数時間遅れており、鳴っているのは過去の時刻である。時計の音を聞きながら、この日一日に自分がした選択のどれもが遅すぎたことを思うところで、小説は終わる。

作者

登場する文学史