渋江抽斎

作者
森鴎外
成立
1916
日本
時代
近代

概要

江戸末期の一人の医師・学者の生涯を、徹底した調査で描いた史伝である。

鴎外は晩年、小説から「史伝(しでん)」へと向かった。史料を博捜し、歴史上の人物の生涯を、事実に即して描く仕事である。この『渋江抽斎』は、その史伝の代表作にあたる。

渋江抽斎は、幕末の弘前藩の藩医であり、また考証学者でもあった。考証学とは、古い書物を精密に調べ、その正しい姿を明らかにする学問である。鴎外は、この抽斎という人物に、深い共感を覚えた。抽斎もまた、鴎外と同じく、医者であり、古典を精密に調べる学者であり、書物を愛する蔵書家だった。「抽斎はわたくしがこれを親愛すること、少壮時代の恋人に対するがごとくである」と、鴎外は記す。

鴎外は、抽斎の生涯を、驚くべき精密さで調べ上げる。抽斎の家系、師や友人、蔵書、そして子孫。抽斎が亡くなった後も、その妻五百(いお)や子どもたちの明治に至るまでの人生が、丹念にたどられる。

華々しい事件は起こらない。一人の学者と、その家族の地道な生と死の記録である。 だが、その淡々とした叙述の底に、鴎外が理想とした、静かで慎ましい生き方が、深く刻まれている。

文学史における評価と影響

森鴎外の晩年を代表する史伝であり、日本近代文学の特異な達成とされる。

晩年の鴎外は、創作としての小説を離れ、史料に基づいて歴史上の人物を描く「史伝」に沈潜した。なぜ鴎外がこの道を選んだかは、しばしば論じられる。虚構をまじえず、事実そのもののなかに人間を見ようとする姿勢は、鴎外の禁欲的な精神のあらわれとされる。

この作品の独自性は、その徹底した実証にある。鴎外は、抽斎に関するありとあらゆる史料を調べ上げ、子孫を訪ね、墓を探し、事実を積み重ねていく。その調査の過程そのものが、作品に書き込まれている。 小説の面白さとは異なる、事実を追う知的な興奮が、そこにはある。

主題は、慎ましく誠実な生き方への共感である。渋江抽斎は、時代の表舞台に立つ英雄ではない。地道に学問を続け、書物を愛し、家族を大切にした、一人の学者にすぎない。鴎外は、その目立たない、しかし誠実な生に、深い敬意と親愛を寄せた。 抽斎の妻・五百の聡明で気丈な人柄も、生き生きと描かれる。

「史伝」という独自の文学形式を確立した点で、この作品は日本近代文学に例のない位置を占める。事実の探究が、そのまま文学になりうることを示した達成にあたる。

内容

『渋江抽斎』は森鴎外が、江戸末期の医師で学者の渋江抽斎の生涯を描いた、史伝である。

鴎外が抽斎を知ったのは、偶然だった。鴎外は、自分と同じく武鑑(大名や旗本の名鑑)を集めていた人物として、抽斎の名に出会う。調べるうちに、鴎外は、この抽斎という人物に、強く惹かれていく。

抽斎は、弘前藩の藩医だった。それだけでなく、古い書物を精密に調べる考証学の学者であり、膨大な書物を集めた蔵書家でもあった。鴎外もまた、医者であり、古典に通じ、書物を愛した。「抽斎はわたくしと同時代の人ではない。しかし抽斎とわたくしとの間には、共通なところがある」——鴎外は、時代を隔てた抽斎に、まるで自分の分身を見るような、深い親愛を覚える。

鴎外は、抽斎の生涯を、綿密に調べ上げていく。抽斎の家系、経歴、師や友人、学問の業績、そして愛した書物の数々。 さらに鴎外は、抽斎の子孫を訪ね歩き、生き残った関係者から話を聞き、事実を一つ一つ確かめていく。

抽斎には、四人の妻がいた。とりわけ最後の妻五百(いお)は、聡明で気丈な女性だった。あるとき、抽斎の家に押し込み強盗が入る。その危機に際して、五百は、湯上がりの裸のまま、短刀を口にくわえ、盥(たらい)の湯を賊に浴びせて撃退した。 そのたくましさと機知が、印象深く描かれる。

抽斎は、安政の大地震の後に流行したコレラで、あっけなく世を去る。だが鴎外の記述は、そこで終わらない。抽斎の死後、残された妻・五百と、子どもたちが、明治の激動の世をどう生き抜いたかが、丹念にたどられる。没落し、離散し、それでも懸命に生きた一族のその後の運命が、淡々と記録されていく。

華々しい事件も、劇的な葛藤もない。一人の慎ましい学者と、その家族の地道な生と死の記録である。 だが、事実を積み重ねたその叙述の底には、目立たずとも誠実に生きた人々への鴎外の深い敬意と愛情が、静かに流れている。

作者

登場する文学史