万延元年のフットボール
- 作者
- 大江健三郎
- 成立
- 1967
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
百年前の出来事と現在が、同じ村で重なっていく小説である。
主人公蜜三郎は、友人の自殺と、障害を持って生まれた子を抱え、無気力に生きている。そこへ弟の鷹四が、アメリカから帰ってくる。
鷹四は、行動する男である。故郷の四国の谷間の村へ帰ろうと兄を誘う。 兄弟は、先祖代々の土地に戻る。
村では、万延元年(1860年)に、二人の曽祖父の弟が指導した一揆があった。鷹四は、その百年前の一揆に自分を重ねる。そして現在、村の若者を集めて、スーパーマーケットを経営する「天皇」と呼ばれる実力者に対する暴動を起こそうとする。
過去の一揆と、現在の暴動が、鷹四の中で一つになる。
だが鷹四は、暗い秘密を抱えていた。妹との近親相姦と、その妹の自殺である。暴動が破綻していくなかで、鷹四はその罪を兄に告白し、自ら命を絶つ。
題の「フットボール」は、鷹四が村の若者に練習させる、暴動の予行にあたる。ラグビーに似た激しい球技を通して、若者たちは暴力へと組織されていく。
大江の方法が最も凝縮した作品とされ、神話・歴史・現在が層をなす複雑な構造を持つ。
文学史における評価と影響
大江の最高傑作の一つとされ、その後の作品世界の原型を作った。
構造が最大の特徴である。万延元年の一揆、太平洋戦争直後の暴動、そして現在の企ての、三つの時間が同じ谷間の村で重なる。人物も反復する。曽祖父の弟と鷹四が、百年を隔てて同じ役を演じる。歴史は繰り返し、しかし少しずつ違う形で反復する、という構造にあたる。
「谷間の村」という舞台は、この作品以降、大江の作品世界の中心になる。四国の森に囲まれた村を、日本の縮図であり神話の場所として描く。 現実の地名ではなく、大江が作り上げた場所である。
主題は、暴力と再生である。鷹四は、破壊のなかに新しい始まりを求める。だがその企ては失敗し、彼自身の罪が露わになって崩れる。 一方、無気力だった兄の蜜三郎は、弟の死を経て、少しずつ生きる力を取り戻す。
大江の翻訳調の文体が、この作品で頂点に達する。ねじれた長い文、多義的な語彙、神話への言及。読みにくいが、その密度が層をなす時間を支えている。
谷崎潤一郎賞を受賞。大江は当時三十二歳で、最年少受賞だった。この作品は、大江が国際的な作家として認められる基盤になった。ノーベル文学賞の受賞理由でも、この系統の作品が中心に挙げられている。
あらすじ
蜜三郎は二十七歳。友人が異様な自殺を遂げ、生まれた子には障害があり、妻は酒に溺れている。蜜三郎自身も、生きる気力を失い、暗い穴のような日々を過ごしている。
そこへ、弟の鷹四がアメリカから帰国する。鷹四は、学生運動に挫折した過去を持ち、何かを求めて放浪していた。鷹四は、故郷の四国の谷間の村へ帰ろうと、兄を誘う。
兄弟は妻とともに、先祖代々の土地へ向かう。村は、雪に閉ざされた森の底にある。一族の古い蔵屋敷が残っている。
鷹四は、村の歴史に取り憑かれている。万延元年(1860年)、二人の曽祖父の弟が指導した農民一揆があった。その弟は、一揆の後に姿を消したとも、殺されたとも伝えられる。鷹四は、その百年前の反逆者に、自分を重ねる。
現在の村を支配しているのは、「スーパーマーケットの天皇」と呼ばれる朝鮮人の実業家である。村の経済を握り、人々を従わせている。
鷹四は、村の若者を集める。フットボール(ラグビーに似た激しい球技)を教え、体を鍛えさせる。 それは、暴動のための組織づくりだった。
やがて、若者たちはスーパーマーケットへの略奪を始める。鷹四は、それを百年前の一揆の再現として指導する。
だが暴動は制御を失い、破綻していく。そのなかで、鷹四は追い詰められる。
鷹四は、兄に自分の秘密を告白する。知的障害のあった妹と関係を持ち、その妹を自殺に追いやったこと。 その罪の意識が、鷹四を暴力と自己破壊へ駆り立てていた。
告白の後、鷹四は猟銃で自ら命を絶つ。
暴動は鎮圧される。だが、その後の展開で、百年前の曽祖父の弟が、実は逃げも殺されもせず、密かに村に残って生き延びていたという事実が明かされる。反逆者は、消えたのではなく、隠れて生き続けていた。
蜜三郎は、弟の死と、一族の歴史の真相を受け止める。そして、無気力だった自分の中に、生き直す力が戻ってくるのを感じる。 障害を持つ子を引き取り、妻とともに、新しい土地で生きる決意をするところで、物語は閉じられる。