若山牧水
- 生没
- 1885–1928
- 出身
- 宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1885年、宮崎県の山村に医師の子として生まれた。早稲田大学に学び、在学中から歌を発表する。1910年の歌集『別離』が評判を呼び、歌人としての地位を確立した。
生涯を通じて旅を重ねた。各地を歩き、その土地の自然と、旅先の孤独を歌に詠んでいる。酒を深く好み、一日に一升を飲んだと伝えられる。歌誌『創作』を主宰して多くの歌人を育てた。
晩年は静岡県沼津に移り住み、この地の松林が伐採されようとしたとき、反対して保存を訴えた。1928年、43歳で没している。肝硬変だった。
作風
歌は平明で、声に出したときの調べのよさが際立つ。難しい語や込み入った技巧を用いず、旅の途中で目に映ったもの、心に浮かんだ感情を、そのまま歌にした。
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」——白鳥は悲しくないのだろうか、空の青にも海の青にも染まらずに漂っている、という歌である。青の中に白がひとつ浮かぶ情景が、そのまま孤独の像になっている。
酒の歌も多い。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」は、その代表として知られる。
作品
歌集『別離』(1910年)で世に出た。ほかに『路上』『死か芸術か』『みなかみ』など、生涯に十数冊の歌集を刊行し、約7000首を残している。
旅の紀行文も多く書いた。歩いて土地を見て回り、その体験がそのまま歌の源になっている点で、作品と生活が分かちがたい歌人である。
文学史における立ち位置と影響
牧水は、正岡子規以後の近代短歌が、斎藤茂吉らの写生を軸とする流れと、与謝野晶子らの浪漫的な流れに分かれていく中で、そのどちらにも収まらない位置を占めた。自然と旅の抒情を、平明な調べで詠み続けたのである。
その分かりやすさから、近代の歌人の中でも特に広く読まれた。学校教育や歌碑を通して作品が普及し、短歌に親しむ入口となってきた。専門的な革新よりも、詠むこと自体の楽しさを広く伝えた歌人といえる。