室生犀星
- 生没
- 1889–1962
- 出身
- 石川県金沢市
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
生涯
1889年、金沢に生まれた。私生児として生まれ、生後まもなく寺の住職の家に引き取られる。この出自と養家での境遇が、生涯の作品に影を落とした。高等小学校を中退して裁判所の給仕となり、そのかたわら俳句と詩を作り始める。
20歳を過ぎて上京し、詩の投稿を通じて萩原朔太郎と知り合った。二人は互いを認め合い、生涯にわたる友情を結ぶ。1918年に『愛の詩集』『抒情小曲集』を相次いで刊行して詩人としての地位を得た。
その後、活動の中心を小説へ移す。晩年まで旺盛に書き続け、1962年に没した。
作風
詩は、平明な言葉による抒情を特徴とする。同時代の朔太郎が神経の不安を書いたのに対し、犀星は郷愁と孤独を、素直な調子で歌った。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」——故郷は遠く離れて懐かしむものだ、という一節は広く知られる。この詩は、続けて、落ちぶれて故郷へ帰るものではない、と歌う。故郷への愛着と、そこへ戻れない痛みが同居している。
小説では、老年に至っての性の衝動や、生きものへの執着を、抑えのきいた文章で書いた。
作品
詩集『抒情小曲集』(1918年)が代表作である。「小景異情」の連作を含み、短く平明な詩が並ぶ。同年の『愛の詩集』とあわせて、大正期の抒情詩を代表する。
小説では、少年の目から養家の暮らしを描いた『あにいもうと』、老作家の欲望を扱った『蜜のあわれ』『かげろふの日記遺文』などがある。晩年の作は今日も高く評価されている。
文学史における立ち位置と影響
犀星は、口語自由詩の時代に、平明な抒情という一つの型を確立した詩人である。朔太郎の内面の不安、高村光太郎の直截な意志と並べると、大正期の詩がそれぞれ異なる方向へ開かれていたことが分かる。
詩から小説へ移り、しかも晩年に代表作を書いたという経歴も特異である。詩人としての言葉の感覚を保ったまま小説を書いた例として、後の書き手に参照されている。