エーリヒ・マリア・レマルク

原綴
Erich Maria Remarque
生没
1898–1970
出身
オスナブリュック
ドイツ
時代
20世紀前半

生涯

1898年、オスナブリュックの製本業者の家に生まれた。教員養成学校に在学中の1916年、18歳で徴兵された。

西部戦線に送られ、1917年に砲弾の破片で負傷する。以後、終戦まで陸軍病院で過ごした。この一年半に満たない従軍が、以後の作品の源になる。

戦後は教員、墓石のセールスマン、雑誌の記者などを転々とした。自動車雑誌の編集者として働きながら書いている。

1929年、西部戦線異状なしを刊行した。初年だけでドイツで百万部を超え、二十数か国語に訳される。翌年のアメリカ映画版はアカデミー賞を受けた。

同時に激しい攻撃も受けた。ナチスは、この作品がドイツ兵を臆病者として描き、前線の兵士を侮辱していると非難した。映画の上演には突撃隊が押しかけて妨害している。

1931年にスイスへ移り、1933年の政権掌握とともに事実上の亡命者になった。著作は焚書の対象とされ、1938年にはドイツ国籍を剥奪される。1939年にアメリカへ渡り、1947年にアメリカ市民権を得た。

1943年、ドイツに残っていた妹エルフリーデが、敗戦主義的な発言をしたとして人民法廷で死刑を宣告され、処刑された。裁判長が、兄が逃げたのでお前が償うのだと述べたと伝えられる。レマルクは戦後、妹に一冊を捧げている。

1970年、スイスで72歳で死去した。

作風

レマルクが書いたのは、戦争から意味を取り除いた前線である。

西部戦線異状なしの冒頭に、この本は告発でも告白でもなく、砲弾を逃れながらも戦争によって破壊された世代について語ろうとするものだ、という趣旨の短い断り書きが置かれている。

前線の記述は具体的である。食べること、便所、靴、鼠、ガスマスク、負傷の処置。英雄的な行為も、戦略も、大義も出てこない。塹壕のなかで実際に何が起きるかだけが書かれる。ある兵士がよい長靴を履いていて、彼が死ぬとその靴が次の者に渡り、その者も死ぬ、という形で靴だけが生き延びる。

視点は一兵卒に固定される。全体像は与えられない。何のために戦っているのかを、登場人物も読者も知らないまま進む。

主題は世代の断絶である。学校で愛国を教えられて志願した若者たちが、帰るべき場所を失う。休暇で帰郷した主人公が、家族とも街とも言葉が通じなくなっている場面がその中心にある。

文体は平明で、短い文が続く。修辞が少なく、感情を高めない。淡々とした記述が続いた後、一行だけ状況が突きつけられる。題名そのものがその手法を示している。主人公が死んだ日の司令部の報告には、西部戦線に報告すべき変化なし、とだけ記されていた。

後期の作品は亡命者を扱う。パスポートを持たない人々が国境を越え、収容され、また移動する。『凱旋門』はその代表である。

作品

西部戦線異状なし(1929年)

代表作である。学校の教師に鼓舞されて志願した十九歳のパウル・ボイメルと級友たちが、西部戦線で一人ずつ死んでいく。

『帰還』(1931年)

続篇にあたり、生き延びた兵士たちが戦後のドイツでどう生きるかを扱う。

『三人の仲間』(1936年)は、1920年代末のドイツを舞台に、修理工場を営む三人の元兵士と、結核の女性との関係を描く。

『凱旋門』(1945年)

パリに潜伏する無国籍のドイツ人医師を主人公にする。亡命者の生活と、自分を拷問したゲシュタポ将校との遭遇を扱った。商業的に最も成功した作品でもある。

『生命の火花』(1952年)

強制収容所を舞台にする。妹の死を受けて書かれた。

『愛する時と死する時』(1954年)

東部戦線から休暇で帰った兵士が、廃墟の故郷で過ごす短い日々を書く。

日本語では『西部戦線異状なし』が広く読まれている。分量は大きくない。

文学史における立ち位置と影響

西部戦線異状なしは、20世紀で最も広く読まれた戦争小説の一つである。

第一次大戦を扱った文学のなかで、この作品は英語圏、フランス、日本を含む各国で受容された。同時期にはヘミングウェイやバルビュスの作品もあるが、普及の規模ではこれが突出している。

反戦文学の型を作った点も大きい。前線の日常を細部まで書き、そこに意味を与えないという方法は、以後の戦争文学の標準になった。日本では大岡昇平の作品などが、同じ方向にある。

ナチスによる焚書の代表的な対象になったことも、この作品の歴史的な位置を決めている。1933年5月の焚書で名指しされた著者の一人であり、文学が政治的に危険視された例として繰り返し引かれる。

文学的な評価については議論がある。通俗的だ、感傷的だという批判が、ドイツの批評家から繰り返し出された。文学史の記述で軽く扱われることもある。一方、平明な文体で広い読者に届いたこと自体を評価する立場もある。

映画化が受容を広げた。1930年版、1979年版、そして2022年のドイツ製作版があり、それぞれの時代に読者を新たに作っている。

日本では戦前から翻訳があり、戦後も繰り返し訳された。教科書や課題図書として読まれてきた作品でもある。

作品

登場する文学史