西部戦線異状なし
- 原題
- Im Westen nichts Neues
- 作者
- エーリヒ・マリア・レマルク
- 成立
- 1929
- 国
- ドイツ
- 時代
- 20世紀前半
概要
1929年に刊行された長篇小説である。第一次世界大戦の西部戦線を舞台にする。
語り手は、パウル・ボイメルという若い兵士である。学校の教師に煽られ、級友たちとともに志願して戦争に加わった。十九歳の青年が、塹壕の中で経験する戦争の現実が、一人称で語られる。
作品には、英雄的な行為も、勇壮な戦闘も描かれない。あるのは、泥と、飢えと、砲撃と、恐怖と、死である。ガス攻撃、砲弾で吹き飛ぶ肉体、負傷者の呻き、食料の奪い合い。戦争を美化する一切の言葉を排し、その現実だけを提示する。
題名は、反語的である。パウルが死んだ日、司令部の報告は「西部戦線、異状なし」と記す。一人の兵士の死は、戦争の全体から見れば、何の異状でもない。 個人の死が、公式の記録の中で無に帰す。その落差が、題名に込められている。
レマルクは1898年の生まれ。実際に、十八歳で第一次大戦に召集され、西部戦線で従軍し、負傷している。作品は、この従軍体験にもとづく。
執筆は戦後十年を経てのことである。レマルクは、戦争の記憶を、一気に書き上げたと語っている。1928年に新聞連載され、翌1929年に単行本として刊行された。刊行されるや、爆発的に売れた。 ドイツ国内だけでなく、各国語に訳され、世界的なベストセラーになった。第一次大戦が残した傷を、多くの人が共有していたためである。
1930年、アメリカで映画化され、これも大きな反響を呼んだ。
だが、ドイツ国内では、この作品は激しい攻撃にさらされた。台頭しつつあったナチスは、この反戦的な作品を、ドイツ兵の名誉を汚し、祖国への裏切りを説くものとして憎んだ。映画の上映は、ナチスの妨害によって妨げられた。1933年、ナチスが政権を握ると、この作品は焚書の対象になった。 レマルクは、身の危険を感じて国外に亡命した。ナチスは、亡命したレマルクの妹を、後に処刑している。
文学史における評価と影響
20世紀の反戦文学を代表する作品である。第一次大戦を扱った小説は数多いが、この作品ほど広く読まれ、大きな影響を与えたものは少ない。
この作品の特徴は、視点の低さにある。戦略も、大義も、英雄も描かれない。あるのは、一兵卒が塹壕の中で見た、戦争の即物的な現実だけである。「失われた世代」——戦争によって青春を奪われ、精神を傷つけられた世代の声を、この作品は代弁した。冒頭に置かれた作者の言葉は、この作品が、告発でも告白でもなく、戦争によって破壊された一つの世代について報告するものだ、という趣旨を述べる。
主題としての戦争の非人間性が、全篇を貫く。戦争は、人間を、生き延びるためだけの動物に変える。敵もまた、同じ人間である。銃後と前線の断絶。国家や大義のために、個人の生が、数字として消費されていく。題名の反語が示すように、一人の死は、公式の記録の中で無に帰す。
政治的な受容は、作品の運命を象徴している。反戦を説くこの作品は、平和を求める人々に歓迎される一方、軍国主義とナショナリズムの側からは、憎悪の的になった。ナチスによる焚書は、その象徴である。文学作品が、その内容ゆえに、政治権力から迫害を受けた典型的な例として、この作品は記憶されている。
日本でも、早くから訳され、繰り返し読まれてきた。反戦文学の古典として、教育の場でも扱われる。訳は複数ある。
あらすじ
パウル・ボイメルは、級友たちと志願して入隊する。学校の教師カントレックが、祖国のために戦うことの崇高さを説き、青年たちを戦争へと駆り立てたのである。だが、新兵訓練の理不尽さと、前線の現実は、教師が語った理想とは、まったく違うものだった。
西部戦線。パウルたちの部隊は、塹壕での戦いに投入される。砲撃、突撃、鉄条網、泥。仲間が次々に死んでいく。年長の兵士カチンスキーは、生き延びる術に長けた頼れる存在で、パウルの支えになる。だが、戦友たちは、一人また一人と失われていく。
パウルは、戦闘の中で、初めて人を殺す。砲弾でできた穴に飛び込んできたフランス兵を、とっさに刺し殺す。だが、その兵は、すぐには死なない。パウルは、狭い穴の中で、瀕死のその男と何時間も過ごす。敵の遺品を調べ、その男が印刷工であり、妻と子がいたことを知る。 敵もまた、自分と同じ、一人の人間だった。パウルは、深い罪悪感に打たれる。
休暇で故郷に戻ったパウルは、そこに、もはや自分の居場所がないことを感じる。銃後の人々は、戦争を、勇壮な冒険か、抽象的な戦略として語る。前線の現実を、誰も理解しない。戦争を体験した者と、していない者との間には、埋めがたい断絶がある。 パウルは、故郷にいることに耐えられず、前線に戻る。
戦争の末期、パウルの仲間は、ほとんど死に絶える。最後まで生き残っていたカチンスキーも、負傷し、パウルが背負って運ぶ途中、流れ弾に当たって死ぬ。パウルは、たった一人、取り残される。
1918年10月、終戦の直前。パウルは、戦線で死ぬ。 その日、司令部の報告には、「西部戦線、異状なし」とだけ記されていた。パウルの顔は、まるで、ようやく休息を得たかのように、穏やかだったと、最後の数行は伝える。