プロヴァンシアル

原題
Les Provinciales
作者
ブレーズ・パスカル
成立
1656-1657
フランス
時代
17世紀

概要

1656年1月から1657年3月にかけて、偽名で刊行された十八通の公開書簡である。原題 Les Provinciales は通称で、正式には「ルイ・ド・モンタルトから地方に住む友人への手紙」という。パリの神学論争の様子を、地方の友人に報告するという体裁をとる。

当時のカトリック教会には、人が救われる仕組みをめぐって二つの立場があった。一方は、救われるかどうかは神が決めることで、人間の努力で動かせる部分は小さいと考える。もう一方は、人間の側の意志と行いがもっと大きく関わると考える。抽象的な議論に見えるが、結論によって教会が信者をどう扱うかが変わる。前者を取れば、罪の基準は厳しくなる。後者を取れば、事情に応じて罪を軽く扱う余地が生まれる。

厳しい側の立場をジャンセニスムという。オランダの神学者ヤンセンの名にちなむ。パリ郊外のポール・ロワヤル修道院が拠点で、パスカルの妹ジャクリーヌはそこの修道女だった。パスカル自身も晩年この修道院に近い場所で暮らしている。

緩い側にいたのがイエズス会である。16世紀に設立されたカトリックの修道会で、ヨーロッパ各地に学校を持ち、海外への宣教を担い、フランス国王をはじめ各国の君主の聴罪司祭を務めていた。教育と宮廷の両方に食い込んだ、当時最も影響力のある組織である。

1655年、ジャンセニスムの中心にいた神学者アルノーが、ソルボンヌ——パリ大学の神学部で、当時のフランスで何が正統な教えかを判定する機関——から異端の宣告を受けようとしていた。異端とされれば教職を追われ、著作は禁じられ、賛同者もろとも排除される。この弁護のために書かれたのがこの書簡である。

パスカルは神学の術語で反論しなかった。イエズス会士を訪ねて話を聞いてきた、という報告の形をとり、相手の著作から実際の文言を引いて本人に得意げに語らせる。読者は神学を知らなくても、何がおかしいかが分かる。

書簡は秘密裏に印刷された。ポール・ロワヤルに関わる人々が印刷所を転々と変え、手渡しで配布した。パスカルは執筆にあたり、アルノーとニコルの協力を得ている。決疑論の書物からの引用は、この二人が集めた資料による。

一通が出るたびにパリで争って読まれた。写しが作られ、地方にも回った。イエズス会側は反論の文書を出したが、読者の数では及ばなかった。

1657年9月、この書簡はローマ教皇庁の禁書目録に載せられた。1660年にはフランス国務会議の決定で焚書に処されている。パスカルは生涯、著者であることを公に認めなかった。

論争の帰結は分かれた。ジャンセニスムは弾圧され、ポール・ロワヤル修道院は1709年に解散させられ、翌年に建物が取り壊された。一方、決疑論の評判はこの書簡によって決定的に落ち、以後「カジュイストリー」は詭弁を指す語として使われるようになった。

パスカルはこの後、キリスト教の弁証論の執筆に向かう。1662年に三十九歳で死去し、その草稿の断片がパンセとして刊行された。

文学史における評価と影響

フランス語散文の規範を作った本として扱われてきた。それまで、神学や哲学の議論はラテン語か、ラテン語の構文を引きずった重い文章で書かれていた。パスカルは短い文と平明な語で同じ内容を扱い、しかも面白く読ませた。ヴォルテールはこの書簡を、フランス語で書かれた最初の散文の傑作だと評している。

論争の方法も繰り返し参照されてきた。相手を正面から論駁せず、相手の書いたものを引用して本人に語らせる。批判は読者の側で起きる。この形は、後の諷刺と論争の文章に受け継がれた。

内容の面では、規則を細かくすることが規則の骨抜きにつながるという構図を示した。個別の事例ごとに例外を認めていけば、やがて禁じられていることがなくなる。この批判は宗教の外にも当てはまり、法の運用や組織の規則をめぐる議論で引かれることがある。

パスカル自身の側にも偏りはある。引用は正確だが、決疑論の書物のなかから極端な例を選んでおり、イエズス会の道徳論の全体を公平に示したものではない。この点は後の研究で指摘されている。

日本語では抄訳と部分訳が中心で、全訳は少ない。

内容

第一通から第三通までは、ソルボンヌでのアルノー弾劾を扱う。語り手は事情を知ろうとして神学者たちを訪ね歩く。争点になっている「近接権能」という語について、賛成派と反対派の双方に意味を尋ねると、双方とも明確に答えられず、しかも中身は同じことを言っている。語り手は、この語は意味ではなく党派の踏み絵として使われていると気づく。

第四通から第十通までがイエズス会の道徳論を扱う部分にあたる。語り手はイエズス会士のもとに通い、その道徳の教えを教わる。相手は自分たちの寛大さを誇り、決疑論の書物から次々に例を引く。カトリックの信者は、司祭に自分の罪を打ち明けて赦しを受ける告解という務めを負っている。司祭の側は、打ち明けられた行為が罪にあたるかどうか、どの程度の罪かを判定しなければならない。その判定の手引きとして事例集が編まれ、これを決疑論という。イエズス会はこの分野で多くの書物を出していた。

そこで語られる教えの例が並ぶ。「意向の方向づけ」——決闘で相手を殺すとき、殺意ではなく名誉を守る意図に向け直しておけば罪にならない。「蓋然論」——ある行為を許してよいと述べた権威が一人でもいれば、多数がそれを否定していてもその一人に従ってよい。「心内の限定」——口に出した言葉に心の中で条件を付け足しておけば、嘘をついたことにならない。ほかに、修道士が僧服を脱げば、盗みや情事をしても修道士としての罪には問われないという論もある。

語り手はこれらに驚いてみせるが、反論はしない。相手は自分の説の便利さを説明し続ける。読み進めるうちに、罪を減らすための技術が体系になっていることが見えてくる。

第十一通で調子が変わる。イエズス会側が、聖なる事柄を笑いものにしたと非難したのに対し、パスカルは名を伏せたまま反論に転じる。以後の書簡では対話の形が減り、直接の告発になる。誤りを笑うことと神を笑うことは別だと述べ、引用した文言はすべて出典を示せると応じる。

第十七通と第十八通は、教皇が断罪した命題がアルノーの著作に実際に書かれているのかという事実問題を扱う。パスカルは、教会は教義を定める権威を持つが、ある文章にその教義が書かれているかどうかは事実の問題であり、権威によっては決まらないと論じる。

作者

登場する文学史