病は気から
- 原題
- Le Malade imaginaire
- 作者
- モリエール
- 成立
- 1673
- 国
- フランス
- 時代
- 17世紀
概要
1673年2月10日にパレ・ロワイヤル座で初演された三幕の喜劇である。音楽と舞踏を伴うコメディ・バレという形式で書かれており、幕間に歌と踊りの場が入る。作曲はマルカントワーヌ・シャルパンティエによる。
主人公アルガンは、身体に異常がないのに自分を重病人だと信じている。医師と薬屋の請求書を几帳面に読み上げ、処方された薬を飲み、浣腸を受けることで一日が過ぎていく。
筋は結婚をめぐって動く。アルガンは、いつでも無料で診てもらえるようにと、娘アンジェリックを医師の息子と結婚させようとする。娘には別に恋人がおり、後妻ベリーヌはアルガンの財産だけを目当てにしている。女中トワネットがこの状況に介入する。
モリエールはアルガンを自ら演じ、初演から四日目の上演を終えた数時間後に死去した。
モリエールは生涯の後半、医学と医師を繰り返し劇の題材にした。『恋は医者』『いやいやながら医者にされ』などがあり、この作品はその最後にあたる。当時の医学は、古代ローマの医師ガレノス以来の四体液説に依っていた。人体には血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の四つの液があり、その配分が崩れると病気になるという考え方である。したがって治療は、多すぎる液を体外に出すことになる。血を抜く瀉血、下剤、浣腸が中心を占めたのはこのためで、作中でアルガンが受けている処置もこれにあたる。
イギリスの医師ハーヴィーが、血液は体内を循環していると発表したのは1628年である。四体液説とは相容れない説で、パリ大学医学部は長くこれを認めなかった。作中でトマがこの説を退けてみせるのは、当時進行していたこの対立を踏まえている。
モリエール自身は肺を病んでおり、初演の時点ですでに衰弱していた。1673年2月17日、四回目の上演でアルガンを演じている最中に痙攣を起こしたが、そのまま演じ終えた。自宅に運ばれて喀血し、その夜のうちに死去した。五十一歳だった。
当時、俳優は教会から破門された身分に置かれていた。破門とは、信者の資格を取り消され、教会の儀式から締め出されることをいう。死ぬ前に俳優をやめると誓い、聖職者の立ち会いを得なければ、教会の墓地に葬られない決まりだった。妻アルマンドが国王ルイ十四世に訴え、パリ大司教の許可を得て、夜間に人目を避ける形で埋葬された。
この作品には別の事情もある。モリエールは長年リュリと組んでコメディ・バレを作ってきたが、1672年にリュリが音楽劇の独占権を国王から得て、他の劇団が音楽を使うことを制限した。このためモリエールはシャルパンティエに作曲を依頼している。
文学史における評価と影響
医学への諷刺が中心にあるが、標的は医療そのものではなく、疑うことを拒む態度にある。ディアフォワリュス父子は、息子が新説をいっさい受け付けないことを長所として誇る。学位授与の儀式では、どの病気にも同じ三つの処置を答えれば合格になる。知識の権威が、内容ではなく形式と言葉遣いで保たれている状態が笑いの対象になっている。
アルガンの造形も単純ではない。病気は思い込みだが、死への恐怖は本物である。主治医に絶縁を告げられた場面でアルガンは本気で怯える。モリエールの喜劇の主人公は、タルチュフのオルゴンにせよ守銭奴のアルパゴンにせよ、一つの観念に取り憑かれて周囲を巻き込む点で共通しており、アルガンもその系列にある。
結末の扱いには議論がある。アルガンは何も改まらず、思い込みを抱えたまま医者にしてもらって満足する。悪癖が矯正されずに終わる点で、教訓劇とは異なる。この寛容さをモリエールの特徴と見る読み方と、諷刺として徹底していないと見る読み方の両方がある。
作者が上演中に倒れたという事情から、この作品はモリエールの生涯と結びつけて語られることが多い。モリエールの死の七年後、その一座を含む三つの劇団が国王の命令で合併し、コメディ・フランセーズが生まれた。現在まで続くフランスの国立劇団で、いまも「モリエールの家」と呼ばれる。この劇団は毎年2月17日前後にこの作品を上演する慣例を持つ。
あらすじ
第一幕。アルガンが一人で、医師と薬屋から届いた請求書を読み上げている。浣腸、下剤、鎮静剤の一つ一つに値段が付いており、アルガンはその合計を計算し、いくらか値切ることに決める。
女中トワネットが呼ばれる。アルガンは娘アンジェリックの結婚相手を決めたと告げる。相手は医師ディアフォワリュスの息子トマで、医学部を出たばかりの若者である。アルガンはその理由を隠さない。医者を婿にすれば、自分の治療に金がかからなくなる。
アンジェリックは、先日劇場で知り合った青年クレアントを想っている。トワネットは娘の側につき、アルガンに正面から反対する。アルガンが杖で追い回すが、トワネットは引かない。
後妻ベリーヌが現れ、アルガンを優しくなだめる。その後、ベリーヌは公証人を呼び、遺産をすべて自分に譲る証書を作らせようとする。
第二幕。クレアントが音楽教師を装って家に入り込む。アンジェリックとの前で即興の歌を歌い、その歌詞の形を借りて互いの気持ちを伝え合う。アルガンは横で聞いているが気づかない。
ディアフォワリュス父子が挨拶に来る。息子トマは、暗記してきた挨拶の口上を間違えては最初からやり直す。父は息子の長所を、教えられたことを決して疑わず、新しい説をいっさい受け付けない点にあると誇る。当時医学界で争点になっていた血液循環説についても、トマはこれを認めない立場である。
アルガンはトマに自分の症状を診させる。トマと父は、アルガンの主治医と正反対の診断と処方を平然と述べる。
第三幕。主治医プュルゴンが、アルガンが浣腸を一度断ったことを知って激怒し、絶縁を告げる。今後どのような病気になっても知らないと宣告して去る。アルガンは死を確信して怯える。
トワネットが医者に変装して現れる。九十歳の名医だと名乗り、アルガンを診察して、これまでの診断はすべて誤りだと断じる。肺が悪いのだと言い、腕を切り落とし目を一つ抉れば残りが健康になると勧める。アルガンは真に受けかける。
トワネットはアルガンに、死んだふりをして周囲を試すよう勧める。アルガンが横たわると、ベリーヌが入ってきて喜びを口にし、遺産の隠し場所を探し始める。アルガンが起き上がるとベリーヌは逃げる。同じ試みをアンジェリックにすると、娘は父の死を嘆き、恋人との結婚も諦めると言う。アルガンは起き上がり、娘とクレアントの結婚を認める。
ただしアルガンは条件を付ける。クレアントが医者になるなら結婚を許す、という。トワネットはそれなら本人が医者になればよいと提案する。
最後の幕間劇で、アルガンに医学博士の学位を授ける儀式が演じられる。ラテン語らしき言葉で問答が交わされる。あらゆる病気にどう対処するかを問われ、志願者は「浣腸し、瀉血し、下剤を与える」とだけ答え続ける。これで合格になる。歌と踊りのうちに幕が下りる。