幻滅

原題
Illusions perdues
作者
オノレ・ド・バルザック
成立
1837-1843
フランス
時代
19世紀

概要

1837年から1843年にかけて、三部に分けて刊行された長篇小説である。バルザックが約九十篇の小説をまとめた『人間喜劇』の一篇にあたる。この連作は、同じ人物が複数の作品にまたがって登場する仕組みを持ち、王政復古期から七月王政期のフランス社会を記録するという構想で書かれた。

三部の構成は次の通りである。第一部「二人の詩人」は地方都市アングレームが舞台、第二部「パリにおける一地方の偉人」はパリ、第三部「発明家の苦しみ」は再びアングレームに戻る。

主人公は二人いる。リュシヤン・シャルドンは薬剤師の息子で、詩人になろうとしている。ダヴィッド・セシャールはその親友で、印刷屋を継ぎ、紙の製法の改良に取り組んでいる。

作品の中心は、パリの出版とジャーナリズムの内側を描いた第二部にある。新聞がどう作られ、批評がどう売り買いされ、本がどう流通するかが、具体的な金額とともに書かれる。

バルザック自身が印刷業と出版業で失敗している。1826年に印刷所と活字鋳造所を経営し、二年で破綻して多額の借金を負った。この経験が第一部と第三部の技術と経営の記述を支えている。

新聞の描写も実体験による。バルザックは新聞に寄稿し、書評を書き、その仕組みを内側から知っていた。1830年代のフランスでは、新聞が購読料を下げて部数を伸ばす経営に移り、広告と連載小説が収入源になっていた。批評が商品として扱われる状況は、この転換と結びついている。

執筆は断続的で、第一部から第三部まで六年かかった。三部を一つの作品としてまとめたのは1843年である。

文学史における評価と影響

出版と報道の仕組みを、金額の水準まで下りて書いた最初期の小説にあたる。原稿がいくらで売れるか、書評がいくらで買えるか、本が何部刷られて何部返品されるか。文学が商品として流通する過程が、正面から扱われる。

主人公の造形も特徴的である。リュシヤンには才能があり、悪意はない。だが意志が弱く、目の前の利益に流される。悪人として書かれておらず、環境に負ける人物として書かれる。この型は19世紀の小説に繰り返し現れた。

ダヴィッドの線が並行することで、対比が働く。ダヴィッドは地道に発明を進めるが、資本を持たないために成果を奪われる。才能があっても、それを守る仕組みがなければ取られる、という構図が両方の線に共通する。

『人間喜劇』の中心作とされる理由もここにある。同じ人物が他の作品にも現れ、ゴリオ爺さんで登場したヴォートランがここで再び出る。リュシヤンの物語は続篇で終わり、そこで自殺する。

20世紀の批評でよく参照された。ルカーチはこの作品を、資本主義のもとで文学がどうなるかを描いた例として論じている。

あらすじ

第一部。アングレームで、印刷屋の息子ダヴィッドが家業を父から買い取る。父は自分の息子相手に法外な値をつける。ダヴィッドは借金を背負って印刷所を継ぐ。

友人のリュシヤンは美貌の青年で、詩を書いている。母は没落貴族の出で、リュシヤンはその姓ド・リュバンプレを名乗りたがっている。妹エーヴはダヴィッドと結婚する。

リュシヤンは地方の名士の妻バルジュトン夫人に見出され、その庇護を受ける。だが二人の関係が町の噂になり、夫人はリュシヤンを連れてパリへ発つ。

第二部。パリに着いた途端、バルジュトン夫人はリュシヤンの服装と物腰が田舎じみていることに気づく。劇場で従姉に指摘され、夫人はリュシヤンを捨てる。

金の尽きたリュシヤンは屋根裏に移り、詩集と歴史小説の原稿を抱えて出版社を回る。どこも相手にしない。

そこで二つの道が示される。

一つはダルテズを中心とする若い文学者の集まりである。貧しく、地道に仕事を積み、互いに助け合っている。リュシヤンは一時ここに加わる。

もう一つが新聞である。リュシヤンは記者ルストーに連れられ、その世界を見る。ここでバルザックは仕組みを細かく書く。書評は金で買える。俳優の評判は、その愛人の資産家が新聞社に払う額で決まる。出版社は書評と引き換えに本を渡し、記者はそれを古本屋に売って現金にする。

リュシヤンは記者になる。書けば書くほど評判が上がり、金も入る。だが党派の都合で、自分がかつて称賛した本を貶す記事を書かされる。

ダルテズの本が出たとき、リュシヤンは酷評を書く。ダルテズはこれを許すが、集まりからは離れる。

女優コラリーと暮らし始める。二人とも金遣いが荒く、借金が増える。

貴族の称号を得ようとして、リュシヤンは政治的な立場を替える。それを機に、以前の仲間から報復を受ける。芝居の初日にコラリーが野次で潰され、以後仕事が来なくなる。コラリーは病で死ぬ。

リュシヤンは葬儀の費用を作るために、酒場の歌の詞を書く。

第三部。金を作るため、リュシヤンはダヴィッドの署名を偽造して手形を振り出す。返せない。ダヴィッドは債務を負い、投獄を避けて身を隠す。

ダヴィッドは、藁から安価な紙を作る製法を完成させかけていた。競争相手の印刷屋がこれを狙い、リュシヤンの手形を買い集めて追い込む。ダヴィッドは捕らえられ、発明の権利を安く手放して釈放される。

リュシヤンは郷里へ戻るが、自分が家族を破滅させたと知る。遺書を残して川に向かう。

途上でスペイン人の司祭を名乗る男の馬車に拾われる。この男は脱獄囚ヴォートランで、パリに戻って自分の道具になるならすべてを面倒みる、と持ちかける。リュシヤンは受け入れる。作品はここで終わり、続篇『娼婦の栄光と悲惨』に続く。

作者

登場する文学史