ロートレアモン伯爵
- 原綴
- Comte de Lautréamont
- 生没
- 1846–1870
- 出身
- ウルグアイ・モンテビデオ
- 本名
- イジドール・デュカス
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
生涯
1846年、ウルグアイのモンテビデオに生まれた。本名はイジドール・デュカス。父はフランス領事館の職員だった。
十代でフランスへ渡り、南部の高等中学校に学ぶ。数学に強い関心を示したという。1867年頃パリに出て、下宿を転々としながら『マルドロールの歌』を書いた。刊行は自費で、しかも印刷業者が内容を恐れて配本を渋ったため、ほとんど世に出ていない。
1870年11月、普仏戦争下のパリで、24歳で急死した。死因は不明である。生涯についての記録はごくわずかで、肖像も残っていない。
作風
『マルドロールの歌』は、韻文ではなく散文で書かれた長い作品である。主人公マルドロールは神に反逆し、あらゆる残酷と冒瀆を行う。人間の姿は変形し、動物と交わり、悪夢のような場面が次々に展開する。
その言葉づかいは、当時の詩の規範から完全に外れている。文法は整っているのに、結びつけられるイメージが常軌を逸している。とりわけ有名なのが「解剖台の上での、ミシンとこうもり傘との偶然の出会いのように美しい」という一句で、まったく無関係な物どうしを強引に並置する。
この、理屈のつながらないものを衝突させる手法が、後に大きな意味を持つことになる。
作品
『マルドロールの歌』(Les Chants de Maldoror、1869年)が事実上唯一の作品である。六つの歌からなる散文詩で、マルドロールの歌として知られる。
ほかに『ポエジー』(1870年)という断章集がある。こちらは『マルドロール』とは逆に、道徳や善を説く体裁をとっており、前作の否定なのか、皮肉なのか、解釈が定まっていない。
文学史における立ち位置と影響
生前はまったく無名だった。作品が本格的に読まれ始めるのは死後数十年を経てからで、決定的だったのは20世紀に入ってからである。
ブルトンをはじめとするシュルレアリスムの詩人たちが、この作品を自分たちの先駆として発見した。理性の統制を外し、無関係なイメージを衝突させるという彼らの方法は、まさにロートレアモンが先に行っていたものだった。「ミシンとこうもり傘」の一句は、シュルレアリスムの美学を表す標語として繰り返し引かれる。
24歳で死に、ほとんど記録を残さなかった詩人が、半世紀後に20世紀最大の前衛運動の源流に据えられた。読まれなかった作品が、時代が変わって初めて意味を持った例である。