郭沫若
- 原綴
- 郭沫若
- 生没
- 1892–1978
- 出身
- 四川省楽山
- 本名
- 郭開貞
- 国
- 中国
- 時代
- 近現代
生涯
1892年、四川省楽山の地主兼商人の家に生まれた。本名は郭開貞という。
1914年、日本へ留学した。九州帝国大学で医学を学ぶ。だが聴力の障害もあって医師の道を離れ、文学に傾いた。この留学中に、ゲーテ、ホイットマン、タゴールらを読み、詩を書き始めている。日本人女性と結婚し、家庭を持った。
1921年、詩集『女神』を刊行した。ホイットマンに倣った奔放な自由詩で、五四運動の高揚期の気分を体現し、中国の新詩の出発点の一つになった。同じ年、文学団体「創造社」を結成している。
1926年、北伐に参加した。1927年に国民党が共産党を弾圧すると、これを激しく批判する文章を書き、指名手配される。再び日本へ亡命した。
十年におよぶ日本亡命の期間、政治から離れて古代史と古文字の研究に打ち込んだ。甲骨文字と青銅器の銘文を扱い、この分野で学術的な業績を残している。
1937年、日中戦争の勃発とともに日本を離れ、中国へ戻った。日本の家族を残しての帰国だった。抗戦期には、歴史に題材をとった劇を次々に書き、現在の政治への批判を歴史に託した。
1949年の中華人民共和国成立後、文化と学術の要職を独占した。中国科学院院長、全国人民代表大会の要人などを務め、文化界の頂点に立つ。この時期の言動には、体制への追随が目立つという批判が後に向けられた。文化大革命では自らの著作を否定する発言もしている。1978年、八十六歳で死去した。
作風
郭沫若の詩は、感情をそのまま噴出させる。
『女神』の詩は、叫ぶように書かれている。旧来の中国を焼き尽くして新しく生まれ変わる、という激しいイメージが、句読の枠を破って連ねられる。「天狗」では、語り手が太陽も月も星も飲み込み、宇宙全体になって疾走する。この誇大なまでの自己拡張が、古い秩序からの解放の感覚を表現している。
ホイットマンの影響が明らかである。定型を捨て、長短の不揃いな行を積み重ね、繰り返しによって勢いを作る。中国の詩に、この形式を本格的に持ち込んだのが郭沫若だった。
歴史劇では、方法が変わる。過去の人物を舞台に上げながら、その口を借りて現在を語らせる。『屈原』では、屈原が讒言によって陥れられる姿を通じて、抗日戦争期の国民党の腐敗を批判した。屈原が嵐に向かって叫ぶ「雷電頌」の独白は、抑圧への抵抗の表現として広く知られた。
歴史学者としての仕事は、文学とは別の厳密さを持つ。甲骨文字と金文の解読、古代社会の分析において、実証的な研究を残した。詩人の奔放さと、学者の緻密さが同一人物のなかにある。
政治との関わりが、その全体を規定している。時々の権力に沿う形で立場を変えたことが、評価を難しくしている。
作品
『女神』(1921年)
最初の詩集で、代表作である。「天狗」「鳳凰涅槃」「地球、わが母よ」などを含む。
『屈原』(1942年)
歴史劇の代表作である。抗戦期の重慶で上演され、大きな反響を呼んだ。
『棠棣之花』『虎符』なども、この時期の歴史劇にあたる。
『甲骨文字研究』『両周金文辞大系』は、古代文字と古代史の学術的な著作である。
自伝的な文章も多く残し、日本での亡命生活を記したものを含む。
日本語では『女神』の抄訳と、日本滞在に関わる文章が読める。
文学史における立ち位置と影響
郭沫若は、中国の自由詩の開拓者とされる。『女神』は、魯迅の小説と並んで、五四運動期の文学を代表する。旧来の詩型を離れ、口語による奔放な自由詩を確立した点で、中国の新詩の出発点に置かれる。
多方面にわたる活動が、この人物の特徴である。詩人であり、劇作家であり、古代史と古文字の学者であり、政治家だった。それぞれの分野で第一線の仕事を残した例は、近代中国では少ない。
歴史劇の方法——過去を借りて現在を語る——は、抗戦期の文学の一つの型になった。検閲と弾圧のもとで政治的な主張を行う手段として機能している。
一方、建国後の政治的な振る舞いには、厳しい評価がある。権力に追随し、文革では自らの著作を否定した。この経歴は、知識人が全体主義体制のもとでどう生きたかという問題の一つの事例として論じられる。
日本との関わりも深い。留学と亡命であわせて二十年近くを日本で過ごし、日本の学界とも交流した。この経験が、古代史研究と、日本を舞台にした文章に反映されている。
日本での受容は、この滞在の縁もあって早かった。詩と、日本亡命期の回想が翻訳されている。