党生活者
- 作者
- 小林多喜二
- 成立
- 1933
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
非合法とされた共産党の活動家が、地下に潜って闘う日々を描いた小説である。多喜二の遺作にあたる。
物語の語り手「私」は、日本共産党の活動家である。当時、共産党は非合法とされ、党員は警察に追われる身だった。 「私」は、身分を隠し、居場所を転々としながら、地下活動を続ける。
作品は、その地下活動の実態を、細部まで描き出す。警察の目を逃れるための細心の用心。仲間との秘密の連絡。工場の労働者へのオルグ(組織化)。 逮捕の危険と隣り合わせの緊張に満ちた日常が、生々しく綴られる。
「私」は、活動のために、恋人の笠原を、いわば同志の「ハウスキーパー」として利用する。運動を最優先する「私」の姿勢は、時に非情でもある。革命への献身と、人間としての情のあいだの痛ましい葛藤も、作品には織り込まれている。
この作品が発表されたのは、多喜二が特高警察に捕らえられ、拷問で虐殺された、その直後だった。作中で描かれた逮捕の危険が、作者自身の身に、現実のものとして降りかかった。地下活動の記録は、そのまま作者の生と死に、重なっている。
文学史における評価と影響
小林多喜二の遺作であり、非合法下の政治活動の実態を描いた、プロレタリア文学の到達点の一つとされる。
この作品の特異さは、その執筆と発表の状況にある。多喜二は、この作品を、みずから地下活動を続けながら書いた。そして発表されたのは、多喜二が特高警察の拷問で虐殺された、まさにその直後だった。作品が描く逮捕と暴力の危険は、作者の現実そのものであり、その死によって、痛ましく裏づけられた。
主題は、非合法下の活動家の苛烈な日常と内面である。警察に追われ、身分を隠し、いつ捕らえられるとも知れぬ緊張のなかで生きる日々。多喜二は、その地下生活の実態を、リアルに、具体的に描いた。 これは、外からは見えない世界の貴重な記録でもある。
「ハウスキーパー」問題が、後に議論を呼んだ。「私」が、運動のために恋人を利用する姿は、革命への献身が、人間関係をゆがめる危うさを示している。理念のために個人を犠牲にすることの是非が、この作品をめぐって問われてきた。
多喜二は、この作品を書いた直後の一九三三年二月、二十九歳の若さで、特高警察に虐殺された。その死は、日本の言論弾圧の象徴的な事件として、長く記憶されている。 遺作となったこの作品は、一人の作家が命を賭して書いた、時代の証言となった。
あらすじ
物語の語り手「私」は、日本共産党の活動家である。当時、共産党は非合法とされ、活動は厳しく取り締まられていた。党員は、警察に追われ、いつ逮捕されるとも知れぬ危険のなかにあった。
「私」は、そうした状況で、地下に潜って活動を続けている。 本名を隠し、偽名を使い、住む場所を転々とする。警察に尾行されていないか、つねに周囲に気を配る。仲間との連絡も、発覚を避けるため、細心の注意を払って行う。
「私」の主な任務は、工場の労働者を組織することである。「私」は、身分を偽って労働者に近づき、彼らの不満をすくい上げ、運動へと導こうとする。だが、工場には、警察に通じる者もいる。一歩間違えれば、正体が露見し、逮捕される。 その緊張のなかで、「私」は活動を続ける。
生活を支えるため、そして活動の隠れ蓑とするために、「私」は、恋人の笠原と暮らしている。笠原は、「私」の身のまわりの世話をし、活動を支える、いわば「ハウスキーパー」の役割を担わされている。
だが、運動を何よりも優先する「私」は、笠原に対して、時に非情である。「私」にとって、革命の大義は、個人の情よりも重い。笠原の思いに十分に応えられぬまま、「私」は活動に没頭する。革命への献身と、一人の人間としての情のあいだで、「私」の心は、痛ましく引き裂かれている。
逮捕の危険は、日ごとに迫ってくる。仲間が次々に捕らえられ、包囲は狭まっていく。それでも「私」は、活動をやめない。 弾圧の嵐のなかで、信念を貫こうとする。
追われ、隠れ、それでも闘い続ける活動家の苛烈な日常。その記録を書いた多喜二自身が、発表の直後、警察の拷問で命を落とした。 地下活動の緊張と危険を描いたこの遺作は、作者の生と死に重なりながら、時代の暗さを、今に伝えている。