ローマ字日記

作者
石川啄木
成立
1909
日本
時代
近代

概要

妻に読まれぬよう、ローマ字で綴られた赤裸々な私的日記である。

啄木は東京で単身、貧しい暮らしを送っていた。この日記を啄木は、あえて日本語ではなくローマ字(アルファベット)で書いた。

なぜローマ字なのか。啄木は日記のなかでその理由を記している。「なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか?……予は妻を愛してゐる。愛してゐるからこそ、この日記を読ませたくないのだ」。 ローマ字を読めない妻の目を逃れるために、啄木はこの文字を選んだ。

そのため日記には、日本語では書けなかった赤裸々な内面が記される。困窮した生活への苛立ち、故郷に残した妻子への複雑な思い、文学者としての焦り、そして遊郭に通い娼婦と関係を持ったことの生々しい記述。

そこに描かれるのは、理想を抱きながら貧困と欲望のあいだでもがき苦しむ、一人の若い男の飾らぬ姿である。歌人・啄木の美しい抒情の裏にある、生身の人間の弱さと苦悩が、包み隠さずさらけ出されている。

この日記は啄木の死後、長く伏せられ、後に公表された。

文学史における評価と影響

石川啄木の内面を最も生々しく伝える記録であり、近代日本の日記文学のなかでも特異な位置を占める作品にあたる。

この日記の特異さは、ローマ字で書かれたという点にある。啄木は妻に読まれることを恐れて、あえて日本語を避けた。その「秘密の文字」という仕掛けが、日記に他に類のない赤裸々さをもたらした。 人に読まれないという前提が、啄木にあらゆる本音を吐き出させた。

内容は、理想と現実のあいだで苦悩する若い文学者の実像である。啄木は大きな文学的野心を抱きながら、貧困に苦しみ、定職も得られず、故郷に妻子を残して東京で孤独に暮らしていた。その焦りと自己嫌悪と性の欲望が、飾らずに記される。

娼婦との関係の記述が、この日記をとりわけ生々しいものにしている。啄木は金にも事欠く身でありながら、遊郭に通う。そのことへの後ろめたさと、抑えがたい欲望とのあいだの葛藤が赤裸々に綴られる。

この日記は、一握の砂悲しき玩具の美しく哀切な短歌をうたった詩人の、もう一つの顔——生身の人間としての弱さと苦悩をあますところなく伝える。 抒情の裏にある生々しい現実を知る手がかりとして、また近代人の内面の記録として、繰り返し読まれてきた。

内容

『ローマ字日記』は石川啄木が、東京で暮らしていた時期に綴った日記である。啄木はこの日記を、日本語ではなくローマ字(アルファベット)で書いた。

このとき啄木は、故郷に妻子を残し、単身、東京で貧しい暮らしを送っていた。新聞社の校正の仕事でわずかな収入を得ながら、文学での成功を夢見ていた。だが現実は借金と困窮の連続だった。

啄木はなぜ、この日記をローマ字で書いたのか。その理由を啄木自身が日記のなかに記している。

「なぜこの日記をローマ字で書くことにしたか?予は妻を愛してゐる。そして、愛してゐればこそ、この日記を読ませたくないのだ」。

やがて上京してくる妻は、ローマ字を読めない。その妻の目を逃れるために、啄木はこの「秘密の文字」を選んだ。 誰にも読まれないという前提のもとで、啄木は日本語ではとても書けなかった本音を、あらいざらい吐き出していく。

日記に綴られるのは、貧困にあえぐ生活への苛立ちと絶望である。金はいつも足りない。友人から借金を重ね、それでも暮らしは立ちゆかない。文学者としての大きな野心と、現実の惨めさとのあいだで、啄木は焦り、自らを嫌悪する。

故郷に残した妻子への複雑な思いも記される。愛しているはずの家族が、時に重い負担のようにも感じられる。その身勝手な思いへの後ろめたさ。

そしてこの日記をとりわけ生々しいものにしているのが、遊郭に通い娼婦と関係を持ったことの赤裸々な記述である。金にも事欠く身でありながら、抑えがたい欲望に駆られて女を買う。その行為への嫌悪と、それでもやめられない弱さとのあいだで、啄木はもがく。

ここに描かれるのは、美しい抒情歌人としての啄木ではない。理想を抱きながら貧困と欲望のあいだでみっともなく生々しくもがき苦しむ、一人の若い男の飾らぬ姿である。

この日記は啄木の死後も、長く公にされなかった。歌人・啄木の美しい歌の裏にある、生身の人間の弱さと苦悩をあますところなくさらけ出した記録として、後に深い関心をもって読まれることになった。

作者

登場する文学史