眠れる美女
- 作者
- 川端康成
- 成立
- 1960-1961
- 国
- 日本
- 時代
- 現代
概要
眠らされた娘のそばで一夜を過ごす、老人のための秘密の館の話である。
主人公江口老人は、六十七歳。ある奇妙な館へ通う。そこでは、深く眠らされた若い娘が、裸で寝かされている。客の老人たちは、その娘の隣で一夜を過ごすことを許される。
だが、そこには厳しい掟がある。眠る娘に、決して悪戯をしてはならない。もはや男の力を失った老人たちが、若い女の肌のぬくもりのそばで、ただ眠るためだけの場所である。娘は目を覚まさず、客が誰であったかを知ることもない。
江口は、掟に完全には従わない、まだ「男」でありうる客として、この館に通う。眠る娘のそばで、彼は自分の過去の女たちを、次々に思い出す。母、妻、若い日の恋人。娘の肉体が、江口の記憶と、老いと死の意識を呼び覚ます。
この館は、生と死の境にある場所として描かれる。眠る娘は、生きているのに、死のように動かない。 老人たちは、その娘のそばで、自分の死の近さを、そして失われた若さを、確かめる。
ある夜、江口の隣で、娘の一人が死ぬ。老いと死の予感に満ちたこの物語は、その死とともに、静かに閉じられる。
文学史における評価と影響
川端の後期を代表する、最も特異な作品とされる。老いと死とエロティシズムを、極限まで純化して描いた。
主題は、老いと死の意識のなかの欲望である。江口たちは、もはや性的な力を失いつつある老人である。眠る娘の肉体は、彼らにとって、失われた生命そのものの象徴にあたる。触れられるのに、応えてはくれない若さ。その断絶が、老いの孤独と死の近さを、痛切に照らし出す。
「眠る娘」という設定が、この作品を象徴的にしている。娘は意識を持たず、客を見ることも、覚えることもない。それは、生きた人間というより、純粋な肉体、あるいは美そのものである。 川端の、対象を沈黙させ、眺める客体として描く傾向が、極限の形をとっている。
倫理的な議論を呼んできた作品でもある。眠らされた娘の主体性を奪う設定は、現代の視点からは強い批判を受ける。この点は、作品の美学と切り離せない問題として、繰り返し論じられている。
海外の作家への影響が大きい。ノーベル賞作家ガルシア=マルケスは、この作品に触発されて『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書いた。川端の後期作品のなかで、最も国際的な波及力を持つ一篇にあたる。
三島由紀夫は、この作品に「デカダンスの傑作」という賛辞を寄せた。老いの深淵を覗き込むその筆致は、川端の芸術の一つの極点とされる。
内容
江口老人は、六十七歳。ある知人から教えられ、海辺の宿にある、秘密の館へ通うようになる。
その館では、若く美しい娘が、強い薬で深く眠らされ、一糸まとわぬ姿で寝かされている。 客として訪れる老人たちは、その眠る娘の隣で、一夜を過ごすことができる。
だが、館には固い掟がある。眠っている娘に、決していかがわしいことをしてはならない。客は、みな「もう安心な」——性的な力を失った老人たちである。若い肌のぬくもりのそばで、ただ添い寝をし、眠るためだけの場所なのである。 娘は決して目を覚まさず、朝、客が去った後に、別室で目覚める。誰と夜を過ごしたかを、娘は知らない。
江口は、まだ完全には「安心な」老人ではない。掟を破ろうと思えば破れる自分を意識しながら、この館に通う。
眠る娘のそばで、江口は眠れぬまま、自分の過去を思い返す。
娘の肌の匂い、髪、寝息。それらが、江口の記憶の奥から、かつて関わった女たちを次々に呼び覚ます。遠い日に別れた恋人。妻。娘たち。そして、幼い日に別れた母の面影まで。若い娘の肉体が、江口の一生の女たちを、そして死んでいった者たちを、まざまざとよみがえらせる。
江口は、幾夜も、この館を訪れる。そのたびに、違う娘が眠っている。 ある娘は初心で、ある娘は熟れている。それぞれの娘のそばで、江口は、老いた自分の生と、迫りくる死を思う。
眠る娘は、生きているのに、死のように動かない。江口は、その静けさのなかに、生と死の境を見る。若さと美が、手の届くところにありながら、決して自分のものにはならない。その断絶が、老いの寂しさを、いっそう深くする。
やがて、ある夜、江口が添い寝をしていた二人の娘のうち、色の黒いほうの娘が、息絶える。 薬の量を誤ったのか、娘は眠ったまま、死んでいた。
館の女は、うろたえる江口をなだめ、「もう一人、いるじゃありませんか」と、冷ややかに言う。死んだ娘は運び出され、館の秘密は、何事もなかったように保たれる。
眠る美女のそばで、老いた男が死を思い、そして本当に娘が死ぬ。生と死とエロティシズムが一つに溶け合った館の物語は、その死とともに、静かに閉じられる。