明暗

作者
夏目漱石
成立
1916
日本
時代
近代

概要

夫婦のあいだの、目に見えないエゴイズムのせめぎ合いを、精密に描いた小説である。漱石の絶筆にあたる。

主人公津田は、結婚したばかりの若い会社員である。妻のお延は、聡明で、夫の愛を確かめずにはいられない女性である。二人は表面上、円満に見える。だが、その内側では、たえず互いの心を探り合っている。

津田には、秘密がある。結婚前に愛し、なぜか去っていった女・清子が、忘れられない。お延は、夫の心のどこかに、自分ではない誰かがいることを、鋭く感じ取っている。

物語は、この夫婦を軸に、周囲の人々の思惑が複雑に絡み合う。津田の妹お秀、面倒見のよい上司夫人の吉川夫人、皮肉な独身者の小林。それぞれが、自分の利害と感情から、津田とお延の関係に干渉する。誰もが、少しずつ利己的である。

やがて津田は、痔の手術のために入院し、その療養を口実に、吉川夫人の勧めで、温泉宿にいる昔の女・清子に会いに行く。 なぜ清子は自分を捨てたのか。その謎を確かめるために。

そして、津田が温泉で清子と再会する場面で、小説は――漱石の死によって――突然、中断する。

文学史における評価と影響

漱石の最後の、そして最も規模の大きい長篇であり、未完のまま残されたことで、かえって多くの論議を呼んできた。

この作品の新しさは、心理描写の精密さにある。津田とお延は、言葉の一つ、視線の一つの裏に、相手の本心を読もうとする。漱石は、その微細な心の駆け引きを、これ以上ないほど細かく分析する。 西洋の心理小説に匹敵する精密さが、日本語で達成されている。

主題は、人間のエゴイズムである。登場人物は誰も、単純な善人でも悪人でもない。みな、自分の立場と感情から、少しずつ利己的にふるまう。 漱石が生涯問い続けた「則天去私(私を去って天に則る)」——エゴを超えられるか——という課題が、この作品の背後にある。

「明暗」という題が、その主題を示す。人の心には、明るい面と暗い面がある。善意と打算、愛と支配欲が、同じ心のなかに同居している。 漱石は、その明暗の入り混じりを、裁くことなく描き出す。

未完であることが、この作品の解釈を開いたままにしている。津田は清子と再会して、何を知るのか。お延との関係はどうなるのか。その先を、水村美苗が『続明暗』(1990年)として書き継ぐなど、後世の作家を刺激し続けてきた。

近代日本の心理小説の頂点として、この未完の大作は、今も繰り返し読み解かれている。

あらすじ

津田由雄は、ある会社に勤める、結婚して間もない青年である。妻のお延は、美しく聡明で、夫に深く愛されることを望んでいる。二人の新婚生活は、表向きは穏やかである。

だが津田には、心に引っかかることがある。結婚前、彼には清子という愛する女がいた。ところが清子は、突然、津田を捨てて、別の男(関)のもとへ嫁いでいった。なぜ清子は自分を去ったのか。 その謎が、津田の心に、消えない棘のように残っている。

一方、お延は、夫の愛を信じたいと願いながらも、津田の心の奥に、自分の知らない何かがあることを、鋭敏に感じ取っている。 彼女は、夫の愛を確かめ、自分のものにしようと、けなげに、また時に計算高く、振る舞う。

二人のまわりには、さまざまな人物がいる。津田の妹お秀は、兄夫婦の派手な暮らしを、快く思っていない。津田の上司の妻吉川夫人は、世話好きで、津田の過去を知っており、あれこれと口を出す。そして、津田の学生時代の友人・小林は、貧しく、皮肉屋で、津田の偽善を鋭く突く。

それぞれの人物が、自分の利害と感情から、津田とお延の関係に、少しずつ干渉していく。金の貸し借り、体面、嫉妬、親切の押し売り。誰もが、少しずつ利己的である。

津田は、持病の痔を手術するため、入院する。その療養を口実に、吉川夫人は、津田にある提案をする。温泉宿で静養している、あの清子に、会いに行ってはどうか、と。なぜ清子が自分を捨てたのか、その理由を確かめてくるがいい、と夫人はそそのかす。

津田は、妻のお延には内緒で、この旅を決意する。過去の女に会いに行くという、後ろめたい旅である。

温泉宿に着いた津田は、静かな山あいの宿で、ついに清子と再会する。

かつて愛し、自分を捨てた女。津田は、緊張と期待のなかで、清子と言葉を交わし始める。その顔に、その言葉に、去っていった理由を読み取ろうとする。

――そこで、小説は途切れる。

作者・夏目漱石が、連載のさなかに世を去ったためである。津田が清子から何を聞き出すのか、お延との夫婦の行方はどうなるのか。そのすべてが、永遠に明かされないまま、この心理小説の大作は、中断されて残された。

作者

登場する文学史