智恵子抄
- 作者
- 高村光太郎
- 成立
- 1941
- 国
- 日本
- 時代
- 近代
概要
彫刻家であり詩人である高村光太郎が、妻の智恵子について書いた詩と散文をまとめた本である。1941年(昭和16年)刊。詩29篇と短歌6首、散文3篇を収める。
長沼智恵子は洋画家として出発した女性で、1914年に光太郎と結婚した。だが実家の破産などが重なって精神を病み、統合失調症と診断される。療養の末、1938年に世を去った。
この本の特徴は、一人の女性をめぐる詩を、三十年近くにわたって書き継いだ記録である点にある。恋愛期の高揚、結婚生活、病の進行、死、そして死後の追想までが、時間の順に並ぶ。ひとつの詩集というより、一つの生涯を追った長い記録として読める。
文学史における評価と影響
近代日本でもっとも広く読まれた詩集の一つである。学校の教科書に採られ、映画や演劇にも繰り返し翻案された。
評価の中心にあるのは、口語自由詩がここで到達した表現の幅である。光太郎は詩集『道程』で力強い意志の言葉を示したが、この本では、病む妻を前にした無力さや、失われていく人への静かな凝視を、同じ口語で書いた。話し言葉が、激しい主張だけでなく、繊細な感情の陰影も担えることを示した点が大きい。
一方で、近年は読み直しも進む。理想化された「智恵子」の像が、実在の長沼智恵子とどう違うか、書かれた側の視点はどうだったのか——そうした問いから論じられることが増えている。
内容
配列はおおむね時間の順に進む。
初期には「人に」など、恋愛期の高揚を歌う詩が置かれる。中ほどでは、東京には空がないと言い、「ほんとの空」を求める智恵子を書いた「あどけない話」が知られる。故郷の福島の空を思う妻の言葉を、そのまま詩にしたものである。
病が進むと、詩は静かになる。「レモン哀歌」は、死の床の智恵子がレモンを噛んだ一瞬を書いた。「そんなにもあなたはレモンをまつてゐた」と始まり、レモンの香りで意識が澄む束の間を捉える。死後の詩では、失われた人を思い続ける日々が淡々と書かれ、詩文集全体が長い喪の記録として閉じられる。