ヴィットーリオ・アルフィエーリ
- 原綴
- Vittorio Alfieri
- 生没
- 1749–1803
- 出身
- ピエモンテ地方アスティ(現・ピエモンテ州アスティ県)
- 国
- イタリア
- 時代
- 17-18世紀
生涯
1749年、ピエモンテ地方のアスティ(現・ピエモンテ州)の裕福な貴族の家に生まれた。青年期は定まった目的もなく、ヨーロッパ各地を旅してまわった。この放浪の日々に、フランスの啓蒙思想や、イギリスの自由な政治のあり方に触れた。
二十代の終わり、自作の戯曲が上演されたことを機に、劇作に生涯を捧げる決意を固めた。だが当時、文章語のイタリア語に不慣れだったアルフィエーリは、トスカーナ地方に移り、標準的なイタリア語を一から学び直した。母語を鍛えることから、その創作は始まった。
以後、生涯に十九篇の悲劇を書いた。専制を論じた散文『圧制論』も著している。イギリス王位を主張したスチュアート家の公子の妃だったアルバニー伯爵夫人と深い仲になり、以後、生涯の伴侶として連れ添った。晩年はフランス革命の勃発を歓迎したが、その後の恐怖政治には幻滅した。フィレンツェで、みずからの生涯を率直につづった自伝を残し、1803年に没した。フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂に葬られ、その墓碑は彫刻家カノーヴァの手になる。
作風
アルフィエーリの悲劇は、専制への憎悪と、自由への激しい情熱を主題にする。暴君と、それに抗する者との対決を、緊張に満ちた筋で描いた。個人の意志と自由が、権力によって押しつぶされようとする、その葛藤こそが、アルフィエーリの劇の核心である。
その文体は、簡潔で、力強い。無駄な装飾や、流麗な美文を退け、切り詰めた激しい言葉で、登場人物の情念を表現した。当時のイタリア演劇が陥っていた、甘美で技巧的な傾向に対する、意識的な反発だった。
古代ギリシャ・ローマや、聖書、歴史に題材を求めた。古典的な題材を借りながら、そこに、専制と戦う自由の精神という、同時代の問題意識を込めた。過去の物語を通して、現在の理想を語ったのである。
作品
『サウル(Saul)』(1782年)
旧約聖書のイスラエル王サウルの、苦悩と没落を描いた悲劇である。神に見放され、狂気と絶望に沈んでいく王の姿を、力強い詩句で描いた。アルフィエーリの悲劇の最高傑作とされる。
『フィリッポ(Filippo)』
スペイン王フェリペ二世を暴君として描き、専制の非情を主題にした悲劇である。
晩年の自伝『わが生涯(Vita)』は、みずからの放浪と精神の遍歴を率直に語った作品で、イタリア自伝文学の名作に数えられる。
文学史における立ち位置と影響
アルフィエーリは、近代イタリア悲劇を創始した劇作家として文学史に名を残す。それまでのイタリア演劇に、簡潔で力強い文体と、自由をめぐる緊迫した主題をもたらし、悲劇を思想の器へと高めた。
その専制への憎しみと、自由への情熱は、文学の枠を越えて、政治的な意味をもった。イタリアが、いまだ多くの小国に分裂し、外国の支配下にあった時代に、アルフィエーリの悲劇は、統一と独立をめざす後のイタリア(リソルジメント)の精神を、先取りするものだった。
来たるべき国民の自由をうたった詩人として、アルフィエーリは、イタリア統一運動の先駆者たちに仰がれた。文学者でありながら、一国の精神史に足跡を残した人物である。