ゲオルク・ハイム

原綴
Georg Heym
生没
1887–1912
出身
ヒルシュベルク(当時ドイツ領シレジア・現ポーランドのイェレニャ・グラ)
ドイツ
時代
20世紀前半

生涯

1887年、当時ドイツ領だったシレジアのヒルシュベルクに生まれた。父は軍の検察官で、厳格な家庭だった。この父との対立が、作品にみなぎる反抗の調子の背景にあるとされる。

法律を学んだが、性に合わず、詩に没頭した。日記には、退屈な平和な時代への嫌悪と、何か大きな破局を望む激しい言葉が繰り返し書かれている。戦争でも革命でも、この停滞を破るものを求める、という危うい願望である。

1912年1月、凍ったハーフェル川でスケートをしていて、氷が割れて溺れた。友人を助けようとしての事故だったと伝えられる。二十四歳だった。第一次大戦の始まる二年前で、みずから予感した破局を見ることなく死んだ。

作風

ハイムの詩の中心にあるのは、大都市と、迫りくる破局である。工場の煙、群衆、貧民街、病院、監獄。近代の都市が、不吉なイメージの連なりとして描かれる。整った詩形のなかに、荒々しく暴力的な光景が詰め込まれる。

「戦争」と題する詩が知られる。戦争が巨大な人の姿をとって目覚め、都市を踏みつぶしていく。この詩は第一次大戦の三年前に書かれており、破局を予感した作品として繰り返し引かれる。ハイムにとって戦争は、恐怖であると同時に、澱んだ時代を打ち破るものへの倒錯した憧れでもあった。冒頭はこう始まる。

Aufgestanden ist er, welcher lange schlief,
Aufgestanden unten aus Gewölben tief.
In der Dämmrung steht er, groß und unbekannt,
Und den Mond zerdrückt er in der schwarzen Hand.

大意は、「長く眠っていた者が、いま起き上がった。地の底の穴倉から起き上がった。薄闇のなかに、大きく、得体の知れぬ姿で立ち、黒い手で月を握りつぶす」。戦争が一個の巨人として立ち上がる——この擬人化が詩の全体を貫く(原詩はドイツ語、大意は当サイトによる)。

伝統的な詩形を用いた点も特徴である。後の表現主義が詩の形も壊していったのに対し、ハイムは整った韻律と脚韻のなかに、破壊的なイメージを収めた。形式の枠と中身の激しさとの落差が、独特の緊張を生んでいる。

作品

生前に刊行された詩集は『永遠の日(Der ewige Tag)』(1911年)一冊にとどまる。代表作の多くは、死後に編まれた『日ざかり(Umbra vitae)』(1912年)に収められている。

「戦争(Der Krieg)」は、破局の予感を歌った詩として最もよく知られる。

日本語では詩の抄訳がある。

文学史における立ち位置と影響

ドイツ表現主義の詩の、最初期を代表する一人とされる。ベントラークルと並べて論じられる。三人とも内面と時代の不安を歌ったが、ハイムは大都市と破局のイメージに、ベンは医師の即物的な視線に、トラークルは色と沈黙の幻想に、それぞれ向かった。同じ運動のなかの異なる方向にあたる。

破局を予感した詩人として記憶されている。第一次大戦の前に、戦争と都市の崩壊を繰り返し書き、その大戦を見ずに事故で死んだ。作品と生涯が、来るべき時代の暗さを先取りしたものとして読まれてきた。

日本での受容は、ドイツ表現主義への関心のなかで進んだ。

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