苦悩

作者
マルグリット・デュラス
成立
1985
フランス
時代
20世紀以降

概要

強制収容所に送られた夫の帰りを、待ち続けた日々を綴った記録である。

デュラスは、第二次世界大戦中、ナチス占領下のパリで、レジスタンス運動に関わっていた。この『苦悩』は、その時期の実際の日記に基づく記録文学にあたる。

デュラスの夫ロベールは、レジスタンス活動によって、ナチスに逮捕され、ドイツの強制収容所へと、送られた。 この本の中心をなすのが、その夫の帰りを待つ、デュラス自身の苦悩の日々の記録である。

戦争が終わり、収容所が解放されても、夫は、帰ってこない。生きているのか、死んだのか、それすらも分からない。デュラスは生と死の宙づりのなかで、狂気に近い不安に、苛まれる。帰還者の名簿を、来る日も来る日も、探し、死の予感に、打ちのめされる。

やがて夫は生きて帰ってくる。だが収容所で、飢餓と虐待にさらされた彼は、骸骨のような、変わり果てた姿になっていた。 デュラスは、その半死の夫を、必死に看病し、少しずつ、生の側へと、引き戻していく。

待つことの耐えがたい苦悩。戦争が人間の心と体に刻んだ傷。それらを、飾らぬ、切実な筆致で綴った、証言の書である。

文学史における評価と影響

デュラスの記録文学の代表作であり、戦争を女性の視点から描いた証言として、高く評価される。

この作品の背景にはデュラス自身の実際の戦争体験がある。彼女はレジスタンスに関わり、収容所に送られた夫の帰りを、待った。この本はその時期に書かれた日記が、もとになっている。 そのため、記述には、作り物ではない、生々しい切実さがある。

主題は「待つこと」の苦悩である。戦場の描写ではない。銃後で、消息の知れぬ愛する者の帰りを、ただ待ち続けるという、受動的な、しかし耐えがたい苦しみ。生と死の宙づりのなかで、狂気に近づいていく心を、デュラスは、赤裸々に記録した。戦争を、待つ者の側から捉えた、稀有な証言である。

戦争の傷の描写も忘れがたい。生きて帰った夫は収容所での飢餓によって、骸骨のような姿になっていた。その半死の肉体を看病し、生へと引き戻していく過程の記述は、戦争が人間に何をなすかを、痛切に伝える。

デュラスの断片的で詩的な文体が、この記録の極限の感情に、独特の強度を与えている。私的な体験を、普遍的な人間の苦悩の証言へと高めた作品として、読み継がれている。

内容

『苦悩』はデュラスが、第二次世界大戦末期の日々を綴った、日記に基づく記録文学である。

戦争中、デュラスは、ナチス占領下のパリで、レジスタンス運動に、身を投じていた。その活動のなかで、彼女の夫、ロベール・アンテルムは、ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に、逮捕される。 そしてドイツの強制収容所へと、送られてしまう。

この記録の中心をなすのが、その夫の帰りを、待ち続けた日々である。

一九四五年、連合軍が進撃し、ドイツが敗北へと向かう。ナチスの強制収容所が次々に解放されていく。だが収容所からの帰還者の報せが届き始めても、デュラスの夫の名は、どこにもない。夫は生きているのか。それともすでに死んでしまったのか。

デュラスはその生と死のあいだの宙づりの状態のなかで、狂気に近い不安に、苛まれる。彼女は来る日も来る日も、帰還者の名簿を調べ、駅で帰ってくる者たちを、探す。ふとした瞬間に、夫の死を、まざまざと予感し、絶望に、打ちのめされる。待つことはこれほどまでに、人を、苦しめるのか。

そしてついに報せが届く。夫、ロベールは、生きていた。 仲間の決死の救出によって、収容所から、連れ出されたのである。

だが生きて戻ってきた夫の姿は、変わり果てていた。長い収容所生活での飢餓と虐待によって、彼は、骨と皮ばかりの骸骨のような姿に、なっていた。もはやまともに食事をすることも、できないほど、衰弱していた。

デュラスはその半ば死んでいるような夫を、必死に、看病する。急に食べさせれば、命に関わる。彼女は細心の注意を払って、少しずつ、栄養を与え、夫を、生の側へと、引き戻していく。死の淵から、一人の人間が、ゆっくりと、蘇っていく過程が、克明に記される。

待つことの耐えがたい苦悩。そして戦争が愛する者の心と体に刻んだ、深い傷。それらを、私的な日記の切実さのままに綴ったこの記録は、戦争を生きた一人の女性の痛切な証言となっている。

作者

登場する文学史