従妹ベット
- 原題
- La Cousine Bette
- 作者
- オノレ・ド・バルザック
- 成立
- 1846
- 国
- フランス
- 時代
- 19世紀
概要
1846年10月から12月にかけて、新聞『ル・コンスティテュショネル』に連載された長篇小説である。翌年に単行本が出た。
バルザックが約九十篇の小説をまとめた『人間喜劇』の一篇にあたる。『人間喜劇』は、王政復古期から七月王政期のフランス社会を丸ごと記録するという構想のもとで、同じ人物が複数の作品にまたがって登場する仕組みを持つ。この作品は「パリ生活の情景」に置かれ、『従兄ポンス』と合わせて「貧しい親族」という総題でまとめられた。裕福な一族の周縁に置かれた身内が、どう扱われ、どう反応するかという構図が二作に共通する。
主人公リスベット・フィッシェル、通称ベットは四十三歳の独身の女である。ロレーヌの農家の出で、パリでは刺繍の賃仕事で暮らしている。従姉アドリーヌはユロ男爵と結婚して裕福な家庭を築いており、ベットはその一家から憐れみを受けながら二十年以上を過ごしてきた。
物語は、ベットが唯一自分のものとして庇護していた青年を、その一家の娘に奪われるところから動き出す。
バルザックは1846年の後半、二か月ほどでこの作品を書いた。当時の書き方は、夜中に起きてコーヒーを大量に飲み、十数時間続けて書くというもので、印刷所に回した校正刷りに大幅な加筆を繰り返した。
執筆時、バルザックは借金を抱えたまま、ポーランドの貴族エヴリーナ・ハンスカとの結婚を実現しようとしていた。相手の親族の反対と資産の問題で交渉は長引き、結婚が成立するのは1850年、バルザックの死の五か月前になる。
背景は七月王政期にあたる。1830年の革命でブルボン家が倒れ、オルレアン家のルイ=フィリップが即位した。財産による制限選挙の体制で、産業と金融が伸び、金を持つ者が地位を買える状況が生まれていた。作中の香水商クルヴェルが元締めとして振る舞い、ナポレオン時代の功労者ユロ男爵が金に困るという構図は、この転換を映している。作品刊行の二年後、1848年の二月革命でこの体制も倒れる。
文学史における評価と影響
ベットの造形が繰り返し論じられてきた。復讐の動機は一つの事件ではない。二十年以上にわたる小さな屈辱の蓄積があり、庇護していた青年を奪われたことがその引き金になる。バルザックは、憎悪が生じるまでの経緯を先に積み上げてから、行動を始めさせる。
表向きの態度を最後まで崩さない点も特徴にあたる。一家は真相を知らないまま、ベットを家族の支えとして看取る。悪意が露見せずに終わる構成は、当時の小説では珍しい。
七月王政期の腐敗の記録としても読まれる。公金の流用、軍需をめぐる不正、官職と情事の交換。バルザックはこれらを風俗の描写として並べ、道徳的な断罪を加えない。
結末に救いがない点も指摘される。悪人は死ぬが、善良な側も報われない。貞淑なアドリーヌは夫の裏切りを知って死に、その夫は直後に女中と結婚する。同じ時期の小説が結末に何らかの調停を置くのに対し、ここでは何も回復しない。
バルザックはこの作品と『従兄ポンス』の後、健康を崩して長篇を書けなくなり、1850年に五十一歳で死去した。この二作が事実上の最後の長篇にあたる。
あらすじ
1838年、パリ。ユロ男爵はナポレオン時代の軍需行政で功を立て、いまも陸軍省の要職にある。妻アドリーヌは美しく、夫を疑わない。娘オルタンスは嫁ぎ先が決まらずにいる。
ユロ男爵には女癖がある。愛人に金を注ぎ込み、家計は傾いている。冒頭で、香水商あがりの富豪クルヴェルがアドリーヌに近づき、あなたの夫は自分の元愛人を横取りしたと明かして、その報復に自分の愛人になれと持ちかける。アドリーヌは断る。
ベットはこの一家の親族として出入りしている。器量が悪く、無教養で、独身のまま賃仕事で暮らしている。一家は親切に扱うが、その親切には常に見下しが混じる。ベットは若いころから、美しく恵まれた従姉との差を意識してきた。
ベットには一つの秘密がある。同じ建物の屋根裏に住むポーランド人の彫刻家ヴェンセスラス・スタンボックを助け、自殺しかけたところを救って以来、金を出して庇護していた。ベットはこの青年を誰にも知らせず、自分だけのものにしている。
オルタンスは、ベットが「恋人がいる」とほのめかすのを聞き、探り当ててスタンボックに近づく。二人はまもなく結婚する。
ベットはこのとき復讐を決める。表向きは祝福し、以後も一家に出入りしながら、破滅を用意していく。
ベットが組むのが、同じ建物に住む下級官吏の妻ヴァレリー・マルネフである。美しく計算高く、複数の男を同時に操って金を引き出している。二人は同盟を結ぶ。ベットが標的を指し、ヴァレリーが実行する。
ヴァレリーはユロ男爵、クルヴェル、ブラジル帰りの富豪モンテス、そしてスタンボックを同時に相手にする。夫マルネフはこれを承知で、妻を使って昇進を得ている。
一家は順に崩れる。ユロ男爵はヴァレリーのために公金に手を出す。アルジェリアの軍需物資をめぐる不正で、実行役を務めたアドリーヌの伯父ジャン・フィッシェルが露見を前に自殺し、男爵は職を辞して行方をくらます。兄のユロ元帥は、弟の不正を知り、不足金を弁済したうえで恥じて死ぬ。スタンボックはヴァレリーに引き寄せられて仕事をしなくなり、オルタンスは家を出る。
アドリーヌは慈善事業の職を得て家計を支え、行方不明の夫を探し続ける。
ヴァレリーは夫の死後クルヴェルと結婚する。だが捨てられたモンテスが仕返しをする。二人は熱帯の病に感染し、体が崩れて短期間で死ぬ。
ベットは肺を病む。企みが露見しかけたことを知った衝撃が病を早めたと書かれる。一家はベットを疑っておらず、家族のために尽くした人として看取る。
物語の終わり。ユロ男爵は見つかり、家に戻される。だが老いても女癖は直らない。アドリーヌは、夫が台所の若い女中に手を出しているのを知り、その衝撃から死ぬ。葬儀の数か月後、ユロ男爵はその女中と結婚する。