マリー・ド・フランス

原綴
Marie de France
生没
1160頃–1215頃
出身
不明(フランス出身でイングランドに在住とみられる)
フランス
時代
中世

生涯

生涯はほとんど分かっていない。作品の末尾に「私の名はマリー、フランスの生まれ」と記していることから、この名で呼ばれる。フランスに生まれ、イングランドの宮廷で活動したとみられる。

12世紀後半、イングランド王ヘンリー2世とその王妃アリエノール・ダキテーヌの宮廷は、大陸の文化を集める場だった。マリーの作品もこの宮廷に献じられたと考えられている。修道院長だったとする説など、身元をめぐる推定はいくつかあるが、確定していない。

作風

用いたのは、八音節の行を二行ずつ韻を踏ませていく形式である。当時の物語詩の標準的な形で、長い物語を語るのに向いていた。マリーはこれを、短い一篇一篇に用いた。

素材はブルターニュ地方に伝わるケルトの伝説である。妖精、狼男、魔法の船といった不思議なものが、ごく自然に日常の中へ入り込む。物語は簡潔で、説明を省き、余分な描写を置かない。

主題はほぼ一貫して恋である。それも、宮廷風の理想化された恋ではなく、束縛された結婚の中で行き場を失う女性や、報われない愛が繰り返し描かれる。

作品

代表作が『レー』(Lais)である。レーとは、ブルターニュに伝わる歌物語を指す語で、十二篇が伝わる。

「ランヴァル」は、妖精の恋人を得た騎士が、その秘密を漏らしたために危機に陥る物語。「ヨネック」は、鷹に姿を変えて塔に閉じ込められた妻のもとへ通う騎士を描く。「二人の恋人」では、王女を抱いて山を登り切れば結婚を許すという条件に、若者が命を賭ける。

ほかに、イソップに由来する動物寓話を集めた『イゾペ』(Ysopet)と、聖パトリックの煉獄をめぐる物語を残している。

文学史における立ち位置と影響

マリー・ド・フランスは、名の判明しているフランス最初期の女性作家である。この一点だけでも文学史上の位置は大きい。

作品の面では、クレチアン・ド・トロワと並んで、ケルト伝説を大陸の文学に取り込んだ功績がある。アーサー王物語群がヨーロッパへ広がる流れの、初期の担い手にあたる。

また、長大な武勲詩や騎士道物語が主流だった時代に、短い形式で完結した物語詩を確立した点も重視される。簡潔さと、女性の側から恋を描くまなざしは、後世に繰り返し読み直されている。