シャルル・ドルレアン

原綴
Charles d'Orléans
生没
1394–1465
出身
パリ
フランス
時代
中世

生涯

1394年、王家に連なるオルレアン公の子としてパリに生まれた。少年期に父が暗殺され、若くして公位を継ぐ。

1415年、百年戦争のアジャンクールの戦いに出陣して大敗し、イングランド軍の捕虜となった。身分が高いため処刑は免れたが、以後25年にわたってイングランドの城を転々としながら幽閉される。詩の大半は、この長い捕囚の間に書かれた。

1440年に多額の身代金と引き換えに解放され、フランスへ帰る。晩年はロワール河畔のブロワ城に住み、詩人たちを集めて詩作の会を開いた。ヴィヨンもこの城を訪れ、同じ題での作詩に加わっている。1465年に没した。

作風

用いた形式は、当時の定型詩であるバラードとロンドーである。とりわけロンドー——同じ句を繰り返し戻す短い形式——を得意とし、その完成者とされる。

主題は、捕囚の身の憂い、故国への思い、そして季節の移ろいである。激しい嘆きにはならず、抑えた調子と洗練された言葉づかいで、静かな哀感を漂わせる。「憂い」を擬人化して自分と対話させるなど、寓意の手法も好んだ。

「時は脱ぎ捨てた/風と寒さと雨の衣を」と始まるロンドーは、春の訪れを軽やかに歌ったもので広く知られる。

作品

生涯に約500篇の詩を残した。バラード、ロンドー、シャンソンなどからなる。捕囚中の作と、帰国後にブロワで作られたものに大きく分かれる。

ブロワの城では、同じ一行を出発点として複数の詩人が競作する遊びが行われた。「泉のほとりで渇きに死ぬ」という一行から始まる連作には、シャルル自身とヴィヨンの作が並んで残っている。

文学史における立ち位置と影響

シャルル・ドルレアンは、中世フランスの定型抒情詩が到達した最も洗練された姿を示す詩人である。バラードとロンドーという形式は、彼のあとしだいに衰え、16世紀のプレイヤード派がイタリア由来のソネットへ移っていく。中世の定型詩を締めくくる位置にあたる。

同時代のヴィヨンとしばしば対比される。王族として洗練された言葉で静かな憂いを歌ったシャルルと、無頼の生活の中から生の声を絞り出したヴィヨン。同じ時代の二つの極として、並べて論じられることが多い。