紅い高粱

作者
莫言
成立
1986
中国
時代
近現代

概要

1986年に雑誌『人民文学』に発表された中篇小説である。後に続篇と合わせて長篇『紅高粱家族』として刊行された。

舞台は山東省高密県の東北郷。莫言自身の故郷を素材にした架空の土地で、以後の作品でも繰り返し用いられる。

語り手は「私」で、祖父母の世代の出来事を語り直す形をとる。語り手は当時生まれておらず、見ていない。 伝聞と想像で語られ、時系列は前後し、同じ場面が別の角度から繰り返される。

内容は、1930年代の抗日戦争期にあたる。祖父の余占鰲は、酒造りの家に嫁いだ祖母を担ぎ屋の一団から奪い、土匪の頭目となり、日本軍の輸送隊を待ち伏せする。

戦争を国家の物語としてではなく、土地の人間の欲望と暴力として書く。抗日を主題としながら、正規軍も共産党も中心に置かれない。

莫言は1955年、山東省高密県の農村に生まれた。本名は管謨業。筆名は「言うなかれ」を意味し、口の禍を戒める意味で自ら付けたという。

文化大革命の時期に小学校を中退し、農作業と工場労働に従事した。1976年に人民解放軍に入隊し、軍で学ぶ機会を得て、1980年代に創作を始めた。

この作品の執筆は、軍芸術学院に在学中に行われた。一週間ほどで書き上げたと伝えられる。素材には、故郷に伝わる抗日の伝承がある。

1987年、張芸謀が映画化した。デビュー作にあたり、鞏俐が祖母を演じた。翌1988年、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞する。中国映画が国際的な賞を得た最初期の例であり、この受賞によって原作も広く知られるようになった。

莫言は2012年にノーベル文学賞を受賞した。中国国籍の作家としては初にあたる。受賞は中国国内で歓迎された一方、国外では、体制内の作家であることへの批判も出た。莫言は作家協会の副主席を務めており、検閲についての発言も議論を呼んだ。

文学史における評価と影響

1980年代の「尋根文学」——根を尋ねる文学——の代表作とされる。文化大革命が終わったのち、革命の物語ではなく、土地に根ざした民間の伝承や生命力に題材を求める動きが生じた。この作品はその流れの中にある。

抗日戦争の描き方が、それまでと大きく異なる。従来の作品では、抗日は共産党の指導のもとで進む正しい戦いとして描かれた。この作品の主人公は土匪であり、動機は私的な復讐と土地への執着にある。 酒を飲み、女を奪い、人を殺す人物が、そのまま抗日の担い手になる。

語りの形式も新しい。孫が祖父母の世代を語るという枠により、語られる出来事は伝説の色を帯びる。時系列は乱され、誇張された描写が積み重ねられる。この手法は、ラテンアメリカの魔術的リアリズムの影響として論じられることが多い。 莫言自身、ガルシア=マルケスとフォークナーの名を挙げ、影響を認めたうえで、そこから離れる必要も語っている。

色彩の使い方も特徴的である。高粱の赤、血の赤、酒の赤が繰り返される。映画版がこの色を前面に出したことで、視覚的な印象が定着した。

暴力の描写については評価が分かれる。生皮を剥ぐ場面をはじめ、細部まで書き込む筆致を、生命力の表現とする読みと、過剰とする批判の両方がある。

日本でも訳が読める。映画から入る読者も多い。

あらすじ

十六歳の戴鳳蓮——後の「私の祖母」——は、金と引き換えに、ハンセン病を患う酒造家の息子に嫁がされる。輿を担ぐ一団の中に、若い余占鰲がいる。

輿の道中で野盗が現れ、余占鰲がこれを撃退する。三日後の里帰りの途上、余占鰲は高粱畑で祖母を待ち伏せし、二人は畑の中で結ばれる。

数日後、酒造家の父子が何者かに殺される。余占鰲の仕業とみられるが、明示されない。祖母は酒造場を引き継ぎ、若くして家業を切り盛りする。余占鰲は酒場に居つき、二人の間に「私の父」が生まれる。

余占鰲は土匪の頭目となる。ある日、酒甕に小便を入れた男がいたことから、その酒がかえって芳醇になるという挿話が置かれる。

1939年、日本軍が村に来る。村人は徴用され、道路を造らされる。土地の皮剥ぎ職人が、日本軍の命令で同郷の羅漢大爺の生皮を剥ぐことを強いられる場面が、詳細に描かれる。この場面は、加害を強いられる側の描写として置かれている。

余占鰲は、日本軍の輸送隊を橋の上で待ち伏せる計画を立てる。手勢は寄せ集めで、装備も乏しい。祖母は高粱の餅を作り、十四歳の「私の父」とともに戦場へ運ぶ。

伏兵は成功しない。輸送隊の反撃で、余占鰲の隊はほぼ全滅する。祖母は銃弾を受け、高粱畑の中で死ぬ。倒れた祖母の視界に、赤く揺れる高粱の穂が映る。

生き残った余占鰲と「私の父」は、死体の間を歩く。作品は、語り手である「私」が、その土地と血について語る言葉で閉じられる。

作者

登場する文学史