ニコライ・オストロフスキー

原綴
Николай Островский
生没
1904–1936
出身
ヴィリヤ村(ヴォリーニ地方。現ウクライナ西部)
ロシア
時代
ソヴィエト期

生涯

1904年、ロシア帝国領の西端、現在のウクライナにあたるヴィリヤ村に、貧しい家の子として生まれた。少年のうちから働きに出ている。革命と内戦の時代に十代で赤軍側に加わり、戦闘で重傷を負った。

内戦後も労働と活動を続けたが、戦傷と病が重なり、体は少しずつ動かなくなっていく。二十代の半ばには全身が麻痺し、やがて視力も失った。寝たきりで目も見えないまま、口述と補助具によって小説を書いた。その一作がマクシム・ゴーリキーらに認められ、世に出る。1936年、三十二歳で死去した。

作家としての活動期間はごく短く、実質的に一つの長篇に人生を賭けた書き手である。

作風

書いたのは、自分自身の経験にほぼ重なる物語である。主人公パーヴェル・コルチャーギンは、貧しい生まれの少年が革命に身を投じ、戦い、病に倒れながらも闘いをやめない、という筋をたどる。作者の生涯をほとんどそのまま反映している。

人物像は、社会主義リアリズムが求めた「肯定的主人公」——困難に負けず、迷いを乗り越え、革命の大義に献身する人間——の、最も純粋な例になった。私的な幸福を投げ捨てても社会主義の建設に尽くす、という価値が全篇を貫く。文学的な技巧よりも、生き方そのものの模範を示す点に重心がある。

作品

『鋼鉄はいかに鍛えられたか(Как закалялась сталь)』(1932〜1934年)は、コルチャーギンの少年期から病に倒れるまでを追う半自伝的な長篇である。題は、人間が革命の試練のなかで鋼のように鍛えられていく、という意味を込めている。

ソ連では若者の必読書として桁外れの部数で読まれ、多くの言語に訳された。とくに中国では、革命後に広く普及し、世代を超えて読まれる作品になった。

文学史における立ち位置と影響

社会主義リアリズムの理想を、一作で体現した作家である。「肯定的主人公」という抽象的な要求が、具体的にどんな人物として書かれうるのかを、コルチャーギンという像で示した。以後のソ連文学が範とする型を提供したことになる。

作品の力の大半は、書かれた内容と作者の生涯が重なっていた点にある。麻痺し失明した青年が、革命への献身を説く小説を書きながら死んだ——この事実が、作品を単なる教訓譚ではなく実感を伴うものにし、受容を強く後押しした。文学の達成としてより、社会主義リアリズムがどんな人間像を掲げたかを示す代表例として、文学史に残っている。

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