仰臥漫録

作者
正岡子規
成立
1901
日本
時代
近代

概要

病床に仰向けに臥した子規が、日々の食事や痛みを克明に記した日記である。

正岡子規は、脊椎カリエスという重い病に冒され、晩年は寝たきりで過ごした。この『仰臥漫録』は、その病床で綴られた、私的な日記にあたる。 題は「仰向けに臥したまま、気ままに記録する」という意味である。

同時期の随筆病牀六尺が、新聞に発表するために書かれたのに対し、こちらは発表を前提としない、まったく私的な記録である。 そのため、内容はいっそう赤裸々で、生々しい。

子規がこの日記に最も詳しく記したのが、その日に食べたものである。朝は何を、昼は何を、夜は何を食べたか。病に食欲だけは衰えぬ子規は、食事の献立を、驚くほど克明に書きとめる。 そこには、生きることへの切実な執着がにじんでいる。

そして病苦の記録もある。とりわけ有名なのがあまりの苦痛に、枕もとの小刀や千枚通しを見つめ、「死」の誘惑にかられる場面である。ここまで来れば、いっそ死んだほうが楽ではないか——子規は、その揺れる心を、隠さず書きつける。

自筆の絵も添えられている。庭の草花や、食べた果物を、子規は寝たまま写生した。 生への執着と、死の誘惑のあいだで揺れる、子規最晩年の心が、この日記に刻まれている。

文学史における評価と影響

正岡子規の最晩年を伝える、貴重な私的記録であり、近代日本の日記文学の一つとして読まれてきた。

この日記の価値はその私的な性格にある。新聞連載として書かれた病牀六尺が、読者を意識した文章だったのに対し、この『仰臥漫録』は、誰に見せるためでもない、子規の生の記録である。 そのため、病苦や死の誘惑が、いっそう飾らずに、生々しく書かれている。

食への執着がこの日記を特徴づける。子規はその日の献立を、異様なほど細かく記録する。動けぬ体で、味覚だけが残された喜びであるかのように。 その克明な食の記録には、死に瀕してなお衰えぬ、生への激しい欲望がにじむ。

死の誘惑の記述はこの日記の白眉とされる。耐えがたい苦痛のなかで、子規は、枕もとの刃物を見つめ、死を思う。「いつでも死ねる」という思いと、それでも生きようとする意志のあいだの痛ましい揺れが、赤裸々に綴られる。極限の苦痛のなかの人間の心を、これほど正直に記した例は少ない。

「写生」の精神が絵にも現れている。子規は寝たまま、庭の草花や果物を、克明に写生した。病床の狭い世界を、なお鋭い観察の目で見つめ続けた子規の姿がそこにある。生と死のあいだで揺れる、その最晩年の心を伝える記録として、深く読まれてきた。

内容

『仰臥漫録』は正岡子規が、死の前年から書き始めた日記である。「仰臥」は、仰向けに寝ていること、「漫録」は、気ままに書きつけた記録の意である。

このとき子規は脊椎カリエスのため、寝返りも打てず、病床に仰向けに臥したままだった。動くことのできぬ体で、子規は、手の届く範囲のことを、この日記に書きとめていく。

日記に最もこまやかに記されるのが、その日の食事である。

「朝 粥四椀、はぜの佃煮、梅干し。昼 粥四椀、鰹の刺身、南瓜」——子規は、朝・昼・晩に食べたものを、その量まで、克明に記録する。病に伏しても子規の食欲だけは、衰えなかった。動けぬ体にとって、食べることは、数少ない生の喜びだった。 その献立の詳細な記録には、生きることへの切実な執着がにじんでいる。

そして日記には病苦の生々しい記録も、繰り返し現れる。

背骨を蝕む病は耐えがたい痛みを、子規に与え続けた。ある日、あまりの苦痛のなかで、子規は、枕もとに置かれた小刀や千枚通しに、目をとめる。これで、この苦しみを終わらせることができる。死の誘惑が子規の心をよぎる。「いつでも死ねる」——そう思うと、かえって少し楽になる。だがそれでも子規は死を選ばない。 生への執着と、死の誘惑のあいだで、その心は、痛ましく揺れ動く。

日記には子規自筆の絵も添えられている。子規は寝たまま、枕もとの庭に咲く草花や、見舞いにもらった果物を、絵の具で克明に写生した。動けぬ体で、なお対象を鋭く見つめ、写しとろうとする。 「写生」を生涯の理念とした子規の姿勢が、この病床の絵にも、はっきりと現れている。

食への執着、死の誘惑、そして衰えぬ観察の目。発表を前提としない、この赤裸々な日記には、生と死の境で揺れる子規最晩年の生々しい心が刻まれている。 子規は、この日記を書いた翌年、三十四歳で世を去った。

作者

登場する文学史