マルグリット・ユルスナール
- 原綴
- Marguerite Yourcenar
- 生没
- 1903–1987
- 出身
- ベルギー・ブリュッセル
- 本名
- マルグリット・ド・クレイヤンクール
- 国
- フランス
- 時代
- 20世紀以降
生涯
1903年、ベルギーのブリュッセルに、フランスの富裕な貴族の家に生まれた。本名はマルグリット・ド・クレイヤンクール。「ユルスナール」は、その本名の綴りを組み替えて作った筆名である。母を出産で失い、教養ある父のもとで、家庭教師について古典語や文学を深く学んだ。
若いころからヨーロッパ各地を旅し、古代ギリシャ・ローマの世界に親しんだ。第二次大戦の前後にアメリカに渡り、以後は生涯の伴侶で、作品を英訳もした学者グレース・フリックとともに、アメリカ北東部メイン州の島で長く暮らした。ヨーロッパから離れた静かな環境で、代表作を書いた。
1951年、『ハドリアヌス帝の回想』が大きな成功をおさめ、国際的な名声を得た。1980年には、女性としてはじめて、フランスの権威ある学術団体アカデミー・フランセーズの会員に選ばれた。三百年以上にわたって男性のみだったこの組織に、初の女性として迎えられたのである。1987年に没した。
作風
ユルスナールの小説は、歴史を舞台にする。とりわけ、古代ローマや、ルネサンス期のヨーロッパといった、過去の時代を選ぶ。だがそれは、単なる歴史の再現ではない。過去の人物の内面に深く入り込み、その人物の目を通して、時代を、そして人間の生そのものを見つめる。
その文体は、格調が高く、彫琢されている。深い古典の教養に支えられた、簡潔で威厳のある文章で、人間の思索と感情をたどる。感傷を排し、対象を静かに見据えるその筆は、古典の精神を受け継いでいる。
主題は、一人の人間の、生と死をめぐる省察である。権力の頂点にある者、変革の時代を生きる者。そうした人物が、みずからの人生を振り返り、老いと死を見つめ、生の意味を問う。歴史という遠い舞台を借りて、時代を越えた人間の根本的な問いが探究される。
作品
『ハドリアヌス帝の回想(Mémoires d'Hadrien)』(1951年)
古代ローマの皇帝ハドリアヌスが、老いて死を前にし、後継者となる若者に宛てて、みずからの生涯を回想する形式の小説である。権力、愛、芸術、そして死をめぐる皇帝の思索が、格調高い一人称で語られる。二十代で構想し、いったん草稿を捨てながら、二十年以上を経て完成させた作品で、膨大な史料に基づきながら一人の人間の内面を深く描き出し、二十世紀の歴史小説の傑作とされる。
『黒の過程(L'Œuvre au noir)』(1968年)
十六世紀ヨーロッパを舞台に、錬金術師にして医師である架空の人物の生涯を描いた長篇である。宗教と迷信の時代に、自由な精神を貫こうとする一人の探究者を描いた。
文学史における立ち位置と影響
ユルスナールは、二十世紀を代表する歴史小説の書き手として文学史に名を残す。過去の人物の内面に入り込み、その目を通して人間の普遍的な問いを描くその手法は、歴史小説の一つの完成された形を示した。とりわけ『ハドリアヌス帝の回想』は、その代表的な達成とされる。
深い古典の教養と、格調高い文体は、実験的な文学が主流となった同時代にあって、むしろ古典の伝統を継ぐものだった。流行から距離を置き、時代を越えた人間の生を静かに見つめたその姿勢が、その作品に長い生命を与えている。
アカデミー・フランセーズ初の女性会員となったことも、その名を歴史に刻んだ。女性の作家が、フランス文学の最高の権威に迎えられた画期として記憶されている。